距骨骨折した私の足 その1

私は今までに2回骨折をしている。

初めは小学生の頃、バスケットをしていて転けた時に、床にあったボールと自分の体で左手薬指を挟み、折れてしまった。今は少し右手のものと形は違うが、問題無く機能している。

次は、7年ほど前の事。2日続けて六甲山にトレランに行った2日目のこと。徳川道を快調に下っていた時、右足が落ち葉の下にあった石を踏んだ拍子に、強い内反を起こした。疲れかけていたこともあり思いっきり捻った。

足はジワジワと腫れてきた。暫くは痛みを感じなかったので、仲間とともになるべく走って下山した。元々捻りやすくなっていたから、酷い捻挫かな、くらいに思っていた。

しかし、帰って冷やしても腫れは引かず痛みも増し、ショートブーツが履けなくなってきた。

仕事もあるし、次シーズンの自転車レースもあるし、これは早く治さねばと、スポーツ系の整形外科を探し、三宮にあったヒロ整形外科に行ってみた。

念のためにとMRIも撮りに行き、診察された結果は、表題の通り、右足の距骨骨折だった。程度はヒビが入っている程度。距骨ってご存知?

距骨?なんじゃそりゃ?と学生時代に使っていた骨格の教科書を調べるも、詳しい記述は少なく、あんまり深刻に考えてなかった。けど、Drに酷いと歩けなくなるよ、手術もあるけど、可動域減るよ、と言われて、それはまずいと認識アップデート。

記憶が定かでないが、1ヶ月以上固定。3ヶ月くらい走る、自転車の高負荷はダメだったと思う。

動きたいの我慢しながら、次シーズンの自転車レースは半ばあきらめ、大人しくしていた。

医師から体重かけなければトレーニングしてもいいと言われて、暫くはストレッチや筋トレをしていた。運動初めは、ローラー台だったか。恐る恐るペダルを動かしたのを覚えている。

徐々にチャリンコ通勤、自転車練習、レースも何本か走ったかな、と動きも活発に。

その後田舎に移住し、自転車レースから離れ、足首のなんとなくの弱さを自覚しながら、それなりに体を動かし、自転車に乗り、山に登り、走り、としていた。

しかし、山を走るときはサポーターが手離せなくなっていた。

ある時、友達とトレランの大会に出てみようという話になり、楽しみ程度に走っていた私は、初めてランニングの練習をしてみた。通勤が片道10キロ程なので、週のうち2日帰宅をランニングでやってみた。

走り慣れてきた頃、右膝の違和感を感じはじめた。膝の外側あたりにぼんやりした痛みがあるような気がしていた。それでも休めれば治るし、深刻に考えてなかった。

秋のある日、トレラン大会本番前に合同練習しようと、六甲縦走に友達と出かけた。宝塚から走り始め、順調に進んでいたが、鍋蓋山辺りから右膝に違和感が出始めた。痛み止めを飲むなんていう今思えば危ない事をして誤魔化そうとしたが、効果は乏しく、登れるが痛みで下れなくなってきた。

体の向きを変えたり、なんとか痛くない姿勢を探し、誤魔化し誤魔化し進んだけれども、板宿近くの山で耐えられなくなり下山決定。

友達にはゴールを目指してもらい、その後合流し、電車で爆睡しながら帰宅。膝は少しましになっていたので治るかなーと淡い期待をしていました。

あ、この日最終電車で駅を乗り過ごし、雨の徒歩帰宅した事を思い出しました。

さて、その足、右膝の痛みですが、数日で治りました。

が、ランニングを再開するとすぐに出てくるようになりました。調べるとどうやら腸脛靭帯炎のるものになっているようでした。

幸い自転車では痛みが出なかったので、大会前でしたが走りはお休みし、回復に努めることにしました。大会前にはステロイドを炎症部分に注射してもらい、念のためにと、関節系の痛みにはロキソニンより効くらしいとボルタレンを手に入れ、ストレッチやマッサージをして様子を見ていました。

結局大会は、地震の影響で中止となりそのシーズンは終わりに。同時にトレラン熱も収束していきました。

続く

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