言葉の責任

小さい頃から本をよく読んでいる。

だからなのか、言葉の力を少しは感じている。

書かれた言葉、話した言葉、全てに力とそして責任があると感じている。

言葉は感情や思考から表現されるものの一つ。

感情や思考が揺れ動くことは当たり前のこと。何も責任は生じない。

だが、言葉に表し、誰かに、もしくは不特定多数に向けて伝えた時、そこに力や責任が伴うと思う。

だから責任を果たさない言葉は、私の中では嫌いなものであり罪である。その重さは伝えた相手への影響や、周りへの広がり具合によってくる。

自分がこれまで口にした言葉、話した言葉全てに責任が取れているかといわれたら、決してとれていない。

どれだけの人に影響を及ぼし、力になったか、力を奪ったか、考えると少し恐ろしい。

でも、やっぱり言葉に表すということは、場合によっては命をかけてでも責任をとる覚悟が必要なんだと思う。

だから自分の表した言葉を振り返って、責任を果たせる生き方をしないといけないと感じている。

とはいっても矛盾を抱える存在なので、困難なことになる場合もあるんだと思う。

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