好きな事をして
苦手なことはそれを苦手と思わずにしてくれる人にお願いして生きていこう。
という動画やブログを読んで、その言葉や態度に感じる違和感はどこからくるのだろうと思った。
明日食べるものやそれを買うお金のない暮らしをしている人、病気のために働けず、貯蓄を切り崩し治療を受けている人、制度の境に居て社会的な支援が得られない人、虐待を受けていたり、いろんな理由でうまく助けてって言えない人
そんな人たちに同じことが言えるかなあ?言えても助けになるのかな?って考えがずっとあった。
衣食足り、住まうところがあってこその言葉や態度なんじゃないかなあと。そこに夢や希望はあるが、その前提条件を持たない人を無視はしないけど視界に入れないというか、配慮に入れていないような、いくらかの身勝手感を感じてしまう。
私がそう感じるのは、そんな方から相談を受けたり聞いたりしてきたこともあるし、曲がりなりにもいろんなお手伝いをしたことがあって、どこにも求めようのない必要とされる力を身をもって感じてきたからかもしれない。
学歴のある人が、明日食べるものや寝るところが確保されている条件で発する、生きるうえで学歴は必要ないよって言うのを聞いた時のモヤモヤ感に似ている。
だから違和感を感じる。
自分ってなんだったっけな?と自分の思考やその背景について思いを巡らせている日々。
沢山の子どもたちの洗濯物の中から、干せる場所の都合上ハンガーに干せる物だけ抜いて洗濯機に放り込みながらそんなことを思った。
次は掃除機かけと布団たたみだ。