何かできることがあったら言ってね という言葉への違和感

「何かできることがあったら言ってね」

と言われた時に違和感を感じていた。

助け舟を出してくれているのにポンッと乗れない、むしろためらう感じがしていた。

この言葉は時々聞くけど、もしかすると、

言われた人が、言ってくれた人に

頼もうとする行為ができるかできないかをまず考えさせる言葉ではないだろうか。

困っていて助けて欲しくて、頭がいっぱいになっているだろう人に、

「助けを求める前に、私がそれをできるかどうか判断してから言ってね」

と考え事を増やしているように受け取れる。

そして、「言わなければやらないし、私は助けるって言ったけど、言う言わないはあなたの勝手だよ」って言葉の裏で言っている気がする。なんていうか、自分の安全を確保した上で、助けるふりして自己責任を強調し突き放している。

二次災害予防のやり方である。

さらに言えば、できることがなさそうなら言わないで、と余計なこと言わないでというメッセージや、あなたが私にできると判断して言われたことも、私がしたくないならやらないよ、という意向も見え隠れする。

だから助けたい、力になりたい、って本当に思うなら違う言葉かけになるんじゃないかと思った。

「何かをできることがあったら言ってね」は、

100%の助けたいを表す言葉ではなくて、あくまであなたが、しっかりと判断した上で求めてきた助けの要請を、私が受けたいか受けたくないか判断して、私もできると思って、私に責任が及ばない範囲でなら、応えてもいいかも、という

共感とは違う

同情でもない

本当に困っている人の助けにはなりにくい言葉なんだと思った。

こんなことが必要だと思うんだけどやってみていい?とか

側にてくれるとか、一緒に考えてくれるとか、

できるできない分からないけどやってみようとしてくれるとか、(ほんとに相手のことを心配でやった好意ならそんなに的外れにはならないように思う)

なんというか血の通った言動、

それが助けたいの表れなのかもしれないと思った。

同情じゃなくて共感するっていう話は、その後に来るものだと思った。

私の考えはひねくれてのかもしれないけど、

そんな助けを求めている人がきっといると思う。

カテゴリー

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です