山に行きたい10月に、村の行事があったとさ

この土日は、村の秋祭り関連で消化されていった。

神社のお祭りとその準備があった。

2年前からこの類の用件がほんとに心に負担になっていて、

今年はそれに決定打を出したような一年だった。

来年は神社のお付き合い止めようかと思っている。

村に越してきた時は、子どもも迷惑かけるだろうし、自治会だけでなくこちらにも入った方がいいと思っていて、なんの迷いもなく入ったが、思った以上に自分を削らなきゃいけなかった。

これまでは削られても回復していたけど、回復ができなくなるとダメだった。

そして回復の見込みは今のところ無い。

昨日のお祭りで、隣に座った一緒に氏子当番をしているおじさまから、

「村の付き合い、特に神社の付き合いは、まずは家庭がしっかりして、余力があるあったらするものだ。だから無理をしなくても良い。そして家庭をしっかりするためには、夫婦の会話が大切だ。どんな些細なことでもいいから話し合っておくこと。そしてその姿を子どもはしっかり見ているし、子どもなりにそれを感じたり考えたりしている。その感じ方や考えを大人は忘れてしまっていてわからない。兎にも角にも夫婦が話し合っておくことが大切だ」

と言われた。確かにそうである。

地域をよくするには個人、そして家庭がよくあること、それは前提だと思う。

家庭がうまく回ってない人の地域づくりに関する発言に、どこか責任感の無さとか持続力の無さを感じるのはそこからなんだと思う。

神社のお付き合いの中で、妻と私がそれぞれ村の人から言われていることが、家庭内で共有されておらず、それぞれが地域に出てちぐはぐな言動をしてしまっていた事を受けての、おじさまの発言だったのかもしれない。

おい!お前のとこの家庭は大丈夫か?と言われたと思ったのである。

まあ、この発言を納得しながら聞いたのだがそれとは別に、ますます神社関連のお付き合いを止めようと思ったことは確実である。

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