じぶんを好きになりたい を読んで

知り合いがFBで、”自分を好きになりたい”

という本を紹介していた。

世の中にこんな本は数あれど、本好きなその知り合いが紹介していたということもあってとても読みたくなった。

住んでいる町の図書館にあるということが分かり、すぐに予約した。

わが町の図書館には、オンライン予約システムがあるのである。

そして昨日目的の本を借りてきた。

すぐに読めるとその知人に教えてもらっていたので、寝る前に読むことにした。

結論から言うと、気づきが多かったので良かった

である。

僕の自己評価の低さは、子どもの頃の過ごし方にあったのだなあと思うに至った。

小さい頃を思うと、大切にされてたけど、わりかし厳しめに育てられてきたと思っていて、ありのままでいいんだよと言われたことやそのように感じたことはなかったなあと思い出した。

泣いちゃいけない。お兄ちゃんだからしっかりしないといけない、ちゃんとしないといけない、親の言うことは聞かないといけない、定食に就かないといけないと言葉に出しはしなくても、言葉の端々や雰囲気からそう言われているように感じ取っていたなあとか、

自由にすごく憧れるのはその感じ取り方の辺が影響がしてるんやろかとか、

親の影響が社会人になるまで大きかったなあとか

勉強頑張ってたけど、自分のためやなかったのかもしれないなぁとか、

なんとなくの大学選び、職場選び、居場所選びの惰性できてたんかなあとか、

才能ないのに無理してたなあとか、

胸が痛くなるなあとか、

高校時代に入りたかった部活を反対されたのは、後々に響いてるいるなあとか、バスプロになりたいと言った時、挑戦すら出来なかったなあとか、何クソって反対されてもやるような力は養われてなかったんやなあとか、

そんな自分を、知識や理論でなくて、感性でもってとても近くで、大変なところに居たんだねっいう一言で救ってくれた人の存在の大きさ貴重さは、どうあっても代え難いもので、消すことができないんやなあとか

今からでももしかしたら、自分は変われるのかも知れないという期待を少しは持てたなあとか、

なんとなくで選ぶんやなくて、自分の好きを基準に自信を持って選んだ人や物、そして進む道なら、なんでも受け入れられるし責任取りたいと思うんやろうなあとか、

自分嫌いを、知らず知らずのうちに、丸ごと認めようとしてくれた人を通して解消しようとしていたのかなぁとか

いろんなことを思わされた。

嫌いなものはより明確に嫌いになったし、かといって今の状況を丸ごと受け入れられるかといったらそうではないんだけど。

この本、緩い感じのイラストだが、必要な人には明確さを持って侵入してくる。そんな感じの本でした。

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