TJARの報告会と慰労会

友人たちが開いてくれた慰労会。

あっという間の2時間半。

自分のゴールシーン動画を見て、確かに感動するんだけど、何か他人の出来事を見ているみたいで変な感じだった。だいぶん前の出来事のような感じでもあった。自分の中に、あの時と同じような感覚が湧き上がってくるかと身構えてたが、それは起きなかった。

なんでか?

目指したきっかけは確かに自分に自信がなくなり、そこからの脱却のためだったが、今日か昨日あたりから、結局心の拠り所を避難的にでも見つけなければいけなくなって、それを探すのが直接のきっかけだったんだなあって思うようになっている。要は安全基地探しであったのかと。

ということは、完走は見つけたかった心の拠り所にはならなかった、ということなのかもしれない。

居たいところはそこではなかったのだろう。

今でも強く覚えているのは、初めて行った沢の帰り道の出来事で、その時の空の色と、近くを歩く人とそこに居れる満ち足りた、自分の内と外の境目が曖昧になる感覚であり、他人事に思える今日の感覚ではなかった。

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