新しいクッカーが届いたのに

ストームクッカーを買った。一番軽くてシンプルなLサイズのもの。

郵便局の通知で、夕方家に届くのが分かってからは、滝の麓で鍋焼きうどんを作って食べてもらう妄想をしていた。

けど、家に入って届いた荷物を解くと、眠いだるいとテンション上がらず。

大好きなアウトドアグッズ触ってるのにこの調子。

居たい場所で、見て欲しい人がいないと、こんなテンションになってしまうのか。

謝られたり 何か聞かれたり 何をされてもただ苦痛。なんで家にいて精神の修行しなくちゃならないんだ。

このクッカー持って、早く避難小屋に移り住みたい。

私が死んだら

叔母が亡くなった。家で倒れていたらしい。翌日うちの母と妹が発見していた。PPKだった。

今日お葬式に参加しながら思っていた。

私が死んだら、お葬式でなくて、山で宴会をして欲しい。そして骨は氷ノ山にこっそり撒いてお墓は無し。骨はイワナや根曲竹になる。水や木や草の養分となり、自然に還る。仏教でもないから戒名無し。お墓参らずに年一回は山に登って思い出してもらう。それで充分。

お葬式のご飯は、部長、山ご飯をよろしく。取り仕切ってくださいね。そしてまだ死にませんけど。あなたも死なないでね。

式の後は、TJARに向けて10kmランニング。今日は身体が軽い。

人はいつか死ぬ。絶対に。人生一度きり。悔いないように、まだ見ぬものを見るために毎日を生きる。自然から感じたことを共感できる人と居られたら、幸せなんだろうなと思う。

床下の猫

最近、台所の床下に猫が住み着いているらしい。

覗くと、猫は見えないが、換気口の柵が一箇所抜けてて、猫一匹なら倒れる隙間が空いていた。

ネズミ除けにはなるだろうけど、繁殖して増えたら困る。

隣家がエサをやってて、近くの猫が集まってきてて、そのうちの1匹らしい。

どうしよう。

匂いのきついものを置くと嫌がるのか。。

試してみよう。

山奥に家が欲しい

山奥に理想の暮らしが作れる家が欲しい。二人ほど、プライベートも保ちながら暮らせるだけの広さと改装の余地と日当たりが欲しい。近所付き合いはなくていい。奈良県吉野町にあれば嬉しい限り。

扇ノ山 スノーシューハイク 海上地区より

2月11日 朝7時スタートして、扇ノ山山頂小屋に行ってきました。

FRでも上がってこられて除雪に大感謝

除雪してある最終点からスノーシューでハイキング。

壁のような登りを序盤に。

林道との分岐からしばらく登ると、牧場の歩きやすい平原に。

晴れ、雪、吹雪とクルクルと変わる天気に、レインを着たり脱いだり忙しい。午後の高気圧ど真ん中に期待して進む。

真っ白けの汚いものが視界に何もない世界は、凄い、綺麗しか言葉が出ない。

ブナ林に癒され、大ズッコの登りに喘ぎ、頂上手前の登りは沈み込みが深くなり、宴会用の大荷物が重たい重たい。

何せ木札の一升瓶背負ってましたから。マムートの70ℓがパンパンのパン。

普段は程よく軽量化を目指してますが、今回は無視。食べる事に焦点を当てていました。

9時間後に小屋に到着。助け合いながら登ってきたメンバーと小屋になだれ込みます。

2階入り口の小屋の戸が開いたままで、室内に雪が吹き込んでましたが、惨事には至らず速攻除雪。寒すぎて溶けてませんでした。

ベテラン先輩は疲れた疲れたと言いながら動きが素早く、湯沸かしと宴会準備に入ってました。

食事は、お酒5ℓ
タンドリーチキン、牛のスペアリブ煮込み、大学芋、キムチ鍋とラーメン、葱のニンニク塩焼き、チーズぱん、おつまみ無数、豆からひくコーヒー、というメニュー。

お腹いっぱい、下山後に体重が増えているかも?と思う登山はこの時くらいです。

冬の但馬に貴重な晴れ間の、扇ノ山山行でした。

山伏ノート

今日の氷上図書館は大当たり。ヤマケイの登山本はアップデートされてるし、無人地帯の遊び方は借りられるし、5冊も山関連の本を見つけることができた。宝物探し。図書館には山に行くのと共通するところがある。

けど、沢登りの本を本棚から取り出し、横むけに一旦置いた後、借りるのを忘れた事に、図書館を出てしばらくしてから気がついた。司書さんの仕事を増やしてしまった、ごめんなさい。

で、今は山伏ノートを読み始めている。

メインは無人地帯の遊び方で、前菜的扱いだが、なんとすぐに取り込まれてしまった。面白い。山で得る感覚が古来日本に住む人々の感覚と繋がっていて、新たな知見がグングン開かれていく。

そして、思い出した。5年前に沢で感じた、あの隣にいる人と、自分と、自然との境が消え一体になるあの感覚。一番幸せな感覚。

無邪気なあの所に辿り着きたい。

鬼の架け橋往復、一筆書き

土曜日の予定は丹波の山を朝から晩まで縦走することだった。しかし前夜はボルダリングの疲れから、家にたどり着く前に駐車場の車内で眠ってしまい、寝不足となっていた。

そのため出発が遅くなり、家を出たのは10時頃だった。

今回登山道があるのは半分くらいで、後はどんなところかわからない状況だった。地形図とコンパスGPSを使い、確認しながら進むため時間がかかりそうなので、目的地を少し近くに修正し、向山から金山へ行程を短縮した。

まず登山口から探しから始まった。場所は氷上町福田の山の中。石戸山稜線の登山道に出るための登りやすそうな場所を、地形と地形図から見つけ取り付いた。

目星をつけた谷を詰めると先週通ったばかりの稜線の道に出た。予想通りにいくと嬉しいものである。谷筋に道は無いが途中小さな石碑が立っており、昔の人もここを通ったかと思うと読図にも安心が加わった。

境界を示すもの?

そこから悠遊の森と森公苑の分岐まで小走りに進んだ。

分岐で小休止し、補給と地図確認。

ここで今回の食糧を紹介。水1.5L、ミックスナッツとレーズンが補給食、昼ごはんにチーズ入りポテチラーメンと夕飯の残りラタトゥーユ、予備食にビバークレーション、メダリストジェル2本。以上。

分岐から先は昨年の春にコース整備していたが、倒木、イノシシの掘り返しで少し荒れていた。目印となる県道を横切ったのは12時頃。

Google mapのナビで普通に案内される県道。険悪で、オフロードバイクくらいしか通れない。

そこから登りかえす途中で昼ごはん。目の前にリス。

次の分岐はコンパスを使用し、下る方向を決定。だらっとしたピークからの下り、見通しは悪く、里山の難しさを体感。次に行く山の見えた南へ176度方向にコンパスを合わせ下った。

紫の菱形マークから南下。

ヒムロやクロマツの藪を掻き分け進んだ先に標高313.3m三角点。三角点には興味がないと言う人の事を思い出しながら写真撮影。

健気な姿。

ここから峠までの下りは道跡が薄らとも無く、服の破れを気にしながら滑り落ちつつ藪漕ぎ。夏には絶対来たくない道、道というか斜面。そして奥野々峠の旧道に出た。

子どもの頃は車で通れていた道です。

そこからの登り返しは本日の最疲労ポイントで、標高409mの山頂まで我慢の登りだった。

その先は小さなアップダウンの繰り返しで、時折り木々の間に見える街の形や山容から現在地を探し進んだ。勿論三角点を写真に収めながら。

過去には、稜線を挟んで繋がる二つの町が、交流イベントを行っていた名残りを発見。

市政発足時のものでしょう。

ゴールまではあと少し。

目的地間近で道を誤り、遠回りをしましたが、知らなかった古い井戸を見つけたのでお得感がありました。この山の間に何度か濾過したら飲めそうな水を発見したのも収穫でした。

17:25目的地、日没間際の鬼の架け橋、そして金山へ到着。陽が落ち気温は下がり、手足が冷たくなってきたので早々に下山。

金山から自宅まではヘッドランプをつけ、ランニング。2:30で自宅に到着しました。コンビニの誘惑に負けなかったが、小さい頃からの思い出が伴う反則技に負け鯛焼きを補給しました。袋無しでくださいと伝えると、お釣り置きの上に放流されかけましたが、間一髪手で受け止めました。

駅舎で荷物を整理し、水をボトルに詰め直し

滋賀県に大雪警報と知る。

前を見ずに歩道を走ってくる学生に注意しながら、走り続けて帰宅。

お腹いっぱい、10時間フル活用の土曜日。

風呂上がり、娘の一回100円、ハムスト、臀部踏み付けマッサージが最高でした。

共通アカンウト

一つのアプリで2つのアカウントを管理できる。

このブログもそう。もう一つのクラブ活動用のブログアカウントも管理できる。

便利だが、書く内容に気をつけないといけないなと思った。

こちらは読み手のほとんどいない、本音自由記載のブログ用。

さて、入りたくない家にどうやって入るか。仕方なくでなく、入りたい家が欲しいな。

なんてことはこちらにしか書けない。

夜更かし中の思考は良くない

少し早く眠れるようになってきたと思ったけど、結局は気のせいだった。

人に左右され過ぎ。

他人にとっては些細なことでも、自分にとっては大事で頭の中がいっぱいになった。

反応が無いということは、無いこと自体も堪えるけど、反応する価値が無いと捉えられている事には、もっと堪える。

そして自分の行為を後悔し始める。意固地になり、言いたくないことを言ってしまった自分が嫌いになる。

すると思考はどんどん良くない方にいく。

その結果、仕事中の複雑な気分を思い出した。

先日、健康診断の受付に来た親子がいた。受けるのは母親で、子どもは成人している位の年齢だったが、生活するには母の保護を必要とする雰囲気だった。

受付時間に遅れてきたその女性は、申し訳なさそうに、今日は手持ちが無いのですが、後日払いでもいいですか?と私に尋ねてきた。

病院窓口ならよくあることだが、保険を使わない健診だから何かあるかもと思い、即答せずに事務に尋ねてみた。すると本日中の支払いならOKということであった。

それを伝えると、来月にならないと払えないと言われた。

それをまた事務に伝えると、それなら健診はできないと言われ、それを来た人に伝えた。

冬に似合わない少し寒そうな格好をしたその人が受ける健診は、就職に向けた診断書作成のための健診だった。

そこで私の思考回路は、

ようやく決まった仕事なのかもしれない。そこに出す診断書を作りにきたのかも。でもまだ働いていないから、お金が無くて困っているんじゃないだろうか。子どもの目の前でお金が無いって言って、しかも健診を受けられないって断られる姿を見せなきゃいけないって辛くないかなあ、

となっていた。

結局その日はお断りして、後日予約を取り直してもらった。

ある同僚には、健診受けるのにお金無いなんてあり得ないって言われた。

確かにあり得ない。財布を持たずに買い物に出かけるようなものだ。

けど何かもやもやが残った。モヤっとさの正体はまだ分からない。でもいい気分で無かったのは確か。

最初にに尋ねられた時に、それならば今日は健診を受けてもらうことかはできないが、別の日の予約をとりましょうか?と返せていたら、もう少しスムーズに対応できたのかもしれない。

自分の動きの悪さにモヤっとしたのだろうか。

今日の日に合わせて計画的にお金を使わないその人に何か責めるような感情を持ったのだろうか。

必要なお金がない事を恥だと思ってる自分ってどうなんだろうか。

そんな複雑な気分を、考えることは大事なんだろうけど今は向き合いたくなかったその気分を、思い出してしまった。

でも耐えようっと。