山日記

とても貴重な体験をしているのではないかと思うようになり、山行の記録をつけることにした。

文庫本サイズの日記帳を買った。

三日坊主になるかならないか、まだ一日分しか書いてないから分からないけど、書き残した気分はいいものである。

エネルギーと時間切れの里山縦走 家からカヤマチ山へ行って学んだこと

晴れの土日が来るので、泊まりで山に行こうと思った。

初めは鈴鹿セブンや大山を考えていたが、金曜日の帰りが遅くなり、準備もまだだったので、市内の山に行くことにした。

かねてから気になっていた片仮名の山、カヤマチ山、さらにその先にある岩屋山まで足を延ばすことにした。

日程は1泊2日。下山後も日没までに家まで自足で帰ってくる予定とした。

用意した食糧は

  • ビバークレーション2パック
  • カロリーメイト4袋
  • スニッカーズ2本
  • じゃがりこ1ケース
  • 餅1個
  • ドライ甘酒1個
  • 乾燥野菜少々

あと水を2.5L

結果は、カヤマチ山へ行けたが、時間が無いのとエネルギー切れで岩屋山まで行くことが出来なかった。

里山のだらっとした複数伸びる尾根筋に2度迷い、展望のない山の中、これでもかとふくらはぎにくるキツい上りに、エスケープが何度か頭をよぎった。しようと思えばすぐできるコースであったし。

けれども財布を忘れていたので、下山後バスに乗って帰る選択肢もなく、迎えを呼ぼうかどうしようかと、自分の弱い心を何度も試された。

その都度、次の三角点に行って考えようと決定を先に伸ばすことで前に進んだ。

が、思っていたより目的地は遠く、自分の想定する体力やスピードと実際に差が出てしまった。

この失敗を振り返ってみると、食糧がカロリー的に半分くらいと足らず、そもそも出発時間が遅かったのがよくなかった。思いの外寒さがあり、消費カロリーが増えたのも計算外だった。

それでも、人のいない山は静かで、辛い中でもじっくりと山を味わう事ができた。遠くに冠雪の氷ノ山が見えのが嬉しかった。

しばらくこのコースを歩くことはないけど、また来年かな、チャレンジしてみようと思う。

軽トラックで横転した話

1月の末、早朝軽トラックに乗っていて横転した。360度の横転だった。

事故としては自損事故。県道脇の斜面を3メートルほど下にある笹藪に一回転して落ちた。

事故現場の先にあるグランドに集合する為、順調に進んでいたのだが、その日は冷え込みが強く、小さな上り道を上がったところで地面が凍結していた。

あっ!と凍結に気がついた時には既に遅く、ブレーキをかけたが後輪が右に滑り始めていた。

右にハンドルを切ったが車はやや真っ直ぐになりながら滑り続け反対車線を越え、左前輪を歩道との分離ブロックに乗り上げ、フロントが片方浮きあがった状態で歩道脇に転げ落ちていった。

斜面に屋根を打ちつけた瞬間フロントの窓が割れ、ガラスの粒が降ってきた。

両手は力一杯ハンドルを握りしめ、突っ張るようにして頭と身体をシートに押し付けていた。

見事な着地を決めた後は意外と落ち着いており、頭についていたガラスをはたき、まだ薄暗かったのでカバンからヘッドランプを取り出し、シートベルトを外して車外に降りた。

近くを走っているだろう仲間に電話をかけ、家族や知人にラインを送り、乗り合わせて集合場所には間に合った。

荷台に積んでいた灯油缶が吹っ飛んで行ったようで見つけられなかった。

その後警察を呼び実況見分をしてもらい、JAFを呼んでクレーンで引き揚げてもらい(JAFの範疇超えており、28000円の現場払い)、そのままその日の用事に合流した。

厄年の一発目、なかなかキツいやつがやってきた。

ドナドナが脳内リフレイン

テントが気になる

テントが好きである。テント屋を始めたいくらいである。

幼い頃から自分の部屋が無く、大人になって自宅があるけど自室がないから、個人的な空間に憧れているからかもしれない。

軽くて、ダブルウオールでコンパクト

土間も調理スペースくらいがあって、荷物がテント内に少し余裕を持って置ける広さがあって

内壁が寝袋につかえなくて

そしてあんまり人と被らないやつ。

VL17、ソーラーフォトン、タニ1P、ハイレヴォ。。あと、カミナドーム1

試してみたいものがいくつもある。ステラリッジ1も第二候補くらいで欲しい。沢でも使いやすそうだ。

ちなみに先々月手に入れたニーモのブレイズ1は、メッシュが大きく寒そうで、組み立てて気が付いたが、半自立式は用途にあっていない。

ブレイズ売って、また違うの試してみたい。

軽自動車の名義変更

何も遠くまで行かなくても、名義変更は地元ですぐにできるという話。

薪運びのたびに借りる手間を省きたくて軽トラを買った。

借りる時には知り合いに連絡して、互いの予定をすり合わせて受け取り、返す時はガソリン満タンにしたり、お礼も渡したり、結構面倒くさかった。

軽トラ欲しいってfbに投稿したら、要るか?と連絡をもらった。

なんとはなしに信頼している人だったので、すぐに伺い現車を見て即決した。ギアノブが紫水晶みたいだったのが決め手であった。

けれども、名義変更の手間が気になっていた。すると、軽トラを売ってくれるその方から、地元ですぐにできるぞ!と聞いて驚き、その気掛かりは吹っ飛んだ。

一昨年、友人に軽バンを買ってもらった。その時は勉強になるからと思い、名義変更手続きを全てやってみた。

インターネットで方法を調べ、必要書類を揃え、有休を取り、六甲アイランド近くの陸運局まで出かけて手続きをした。

車検証を忘れて取りに戻り、2往復したのは中々辛かった記憶である。

今回もそのことがあって、面倒くささがデンっと居座っていたのだ。

ところが、地元の自家用車安全協会で手続きできると教わった。

驚いたので、この協会の事を検索し業務内容を調べてみた。ところが、どこにもそんなことは書いてなかった。

とりあえず載っていた電話番号を控えておき、昼間に電話して確認してみた。

すると、あっさり。

「できますよ」という答えだった。

必要書類も教えてもらった。

譲渡される側の住民票のコピー、車検証、双方の認印を用意してくださいという事だった。

やっぱりどこを探しても、インターネットにはこんな事は書いてなかった。探し方が悪いのかもしれない。

そして今日、電話で必要書類を最終確認し行ってきた。

その電話によって必要物はさらに減り、住民票コピーと車検証のみでよくなっていた。

訪れたそこは、陸運局の喧騒さとは別世界の、事務の女性1人の静かな窓口であった。

名前の読み方と電話番号を口頭で伝え、2000円払って手続き終了。

神戸までのガソリン代と高速代より安かった。

協会の業務内容を掲載した紙媒体には、各種手続き代行しますと書かれていた。

軽自動車の名義変更は、地元でできると、体験学習した日であった。

早退させてくれた上司に感謝である。

MT. EXPERT GT EVO

私の初めての冬山登山靴は、LOWAのMT. EXPERT GT EVOです。

先月出張の帰りに、三ノ宮の石井スポーツで購入しました。

色落ち予防にコロニルのヌバックローションを塗り、防水性アップのためにCarbon proをスプレーし使い始めました。

冬の赤岳、元旦の石鎚山、地元兵庫県の氷ノ山ラッセル登山に使用しました。

これまで冬山に使っていたマインドルのYARIと異なり、だいぶ温かいです。サイズを0.5cm下げたおかげでより適度にフィットし、歩行のしやすさもあります。

独自のLOWAフレックスシステムの恩恵を感じるには至っていませんが、カジタックスのアイゼンにも合い、買ってよかったと思うことしきりです。

今月はまださらに石鎚山高瀑の滝や氷ノ山登山、来月は北八ヶ岳、三嶺、雪洞泊登山、氷ノ山ハイキングと活躍してもらう予定です。

冬の赤岳

12/26.27に初めて長野の冬山に登ってきました。

山岳会のメンバーと計4名。

赤岳鉱泉泊で一泊二日のゆったり山行。

ベッドと絨毯のあるお部屋は快適で、リーダーからは、「これが当たり前と思ったらだめだよ」と言われました。

夕飯までに軽く酒盛りを始め、名物ステーキをいただいた後はさっさと9時ごろには全員就寝。みんなは8時、私は談話室の漫画を読んで9時就寝。

暑くて夜中に服を脱ぐくらいで、冬山とは思えませんでした。

翌朝8時ごろにのんびり出発。メンバー1人が高山病疑いで行者小屋で下山し、3名で赤岳山頂へ。

寒さに合わせて衣類を足し、風吹く中山頂へ。-18℃くらいだったでしょうか。

遠くに富士の姿が現れたときには声がもれました。

下山途中で南沢大滝のアイスクライミングを見物し、

犬用のゴム底靴を片方拾い上げ

予定通りに下山し、湧き水を飲んで帰路につきました。

近所の里山と違い、人の沢山いる地方中核都市のような山でした。

初めて使う冬靴とハードシェルパンツの性能を体感できたことも今後の参考になりました。

メンバーの存在をとてもありがたく感じた旅でした。

家の中で焚き火感覚

服部文祥の動画を見ながら、薪ストーブに当たっていた。すると、沢泊で寝る前の、焚き火で服を乾かし熱を蓄えている時のような錯覚を覚えた。

ご飯でお腹いっぱいで、火にあたりながらうつらうつらしている時の満ち足りた感覚。

週末は冬山だけど、春のイワナと沢登が待ち遠しい。服部さんみたいにな山旅を、同じ感性の人としてみたい。

ハンターヘラルドのメンテナンス

薪ストーブの扉のメンテナンスと煙突掃除を依頼した。

美山町にある某ストーブ屋さん、11月当初「11月末に電話連絡して伺います」と言っていたのに音沙汰なく、12月に電話したら、忘れていたみたいですぐ来てくれた。

このお店、煙突掃除について購入時は、掃除を覚えてもらってあとはユーザーさんでやってもらいますって言ってたけど、教えてくれそうにもない。

さらに、扉のガスケットと本体との間に隙間があって中の火の色がチラチラ見えるのと扉のノブが固着していたので、その修理を依頼していた。

出来ましたということで、私不在でしたが、妻立ち合いの元確認されたみたいです。ガスケットもヘタってなくて綺麗ですって、私が替えたのだから当たり前である。使用頻度から設置年数を見て、ヘタリ具合が大幅に少ないことに気づかなかったのだろうか?

そしてこの扉の問題、全くなにも改善しておらず、扉を閉めて挟んだ紙がスルッと抜ける始末。中の炎色も隙間から見える見える。

けどしっかりと料金の請求は行われています。

ということで、このお店に若干不信感を抱いております。

といっても貴重な労働力をもって手に入れた薪を無駄に燃やしたくないので、薪ストーブの密封性を高めるべく、もう一度、今度は私が電話してみようと思う。

TJAR2022

過去に医学部を目指していたことがあった。

初めは本気で目指していた。けど途中から勉強が分からなくなり苦手になって、それでもできない自分を認めたくなくて、その夢にしがみついていた。しがみつくふりをしていたのかもしれない。現実から目を背けていた。そうするしか生きていける方法が分からなかった。

医学部を目指している

という自分でいることで、またやれるかもしれない可能性を残していることを他人に示すことで自分を保っていたのかもしれない。

気づけば看護大学を卒業し、挫折しながら看護師として働き、後保健師として働き、家族ができ、いつのまにか40歳になっていた。

37歳の時、とても大切な人に巡り合い、そして失った。その人のおかげで受け入れてこれなかった自分のこれまでを認めることができ、それは生き返ったかのような感覚だった。けどその人と、その人との関係を失った。

そのショックから死にそうになる程苦しくなって、その苦しみは広がりいろんな人との関係を断ち、家族からも離れて一人の世界に入っていった。

そんな時にTJARの存在を知り、純粋にこれを走りきれる人になりたいと思った。出場しゴールする人をかっこいいと思った。

このレースが、結局何も成し遂げてこれなかった自分が、もう一度頑張ればなんとかできそうな範囲の最大限のところにありそうな目標に感じられた。

そして、失った人が決して来ないであろうTJARという世界に身を投じようと思った。

自分が本気でやって、失ったものからより遠いところで目標を達成することをやってみようと思った。

そう思ってから2年近くが過ぎた。

確かにより遠くへ自分の脚で行けるようになってきた。山で寝泊まりする経験も積めてきた。ただ、まだまだスピードや困難な状況の経験がなく、到達できない目標であることが明確なままである。

なのに、変な意地からボーカルトレーニングを始めてみたり、英語教室に通ってみたり、車通勤で基礎体力の維持をサボったり、どうも目標から遠ざかる行為ばかりしてしまっている気がしている。

今すべきは走力の向上であり、毎日身体のコンディションを整え、家族の役割をそれなりに果たしつつ、しっかり働いたうえで山にいる時間や機会を増やすための努力である。

なので一旦自分のすべきことを整理し、もう少しTJARに向けて時間を作り出すことをしてみようと思う。

まずは12月の発表会でボーカルトレーニングは休止する。

睡眠時間を確保し、集中して日中と勤務後のトレーニング、ケア時間を確保する。

この2点をまずはやってみようと思う。

TJARに出るためには、まだまだ出来ることが出来ていない。このままだと、20年前の医学部を目指していた自分の繰り返しになってしまう。