二三味珈琲

映画 「最果てにて」

を知ってから、ずーっとずーっと気になっていたコーヒー屋さん、二三味珈琲。

今回中能登トレジャートレイルランという大会に参加したので、レース後に行ってきました。

映画のイメージを裏切らないとても居心地のよい、美味しいコーヒーが飲める、もう一度このために行きたくなる、そんなカフェでした。

りんごのタルトとオススメのシングルコーヒーを二杯いただきました。

店員さんの柔らかな雰囲気と、お冷の水が美味しかったのが印象に残りました。

焙煎所の舟小屋にも行こうか迷ったけど、お店を出た時は暗くなりかけてて、次の機会に行くことにしました。

能登半島、先端まで足を伸ばせるなら、いや、伸ばしてでも行ってみてほしい出会いでした。

歌う女性の歌手を見て

すごくすごく綺麗だなぁって思った。

自分の作った歌を、一生懸命に歌う姿に、

歌が好きなんだなということが伝わってきた。

歌っていなくても、同じような美しさを感じさせる人のことを思い出した。

その人は、声はなくても歌っていた。

表情や仕草でも歌えるんだなあと思った。

家の中では靴下履かずに冬を過ごしてます

とあえていう人は、断熱性の高い暖かい家に住んでます

って言いたいんやろうなあ。と

そろそろ裸足で過ごすにはちょっと辛い時季になり、靴下を引っ張り出してきて思った。

冬が来る前に大山に登りたい。

アウトドアリサーチの折り畳み帽子

北アルプスの山行のことを書こうとしているが中々書けない。

そうしている間に段々と記憶が薄れてきてしまう。

それはそうと、お気に入りのアウトドアリサーチの折り畳みキャップを、立山線の寺田駅で降りる時に車内に置き忘れていたので、富山駅と上市駅に、乗った日時を伝えて、届いていないか問い合わせた。

無かった。

頭の大きな私がストレスなく被ることのできる帽子は中々なく、

かっこよくてコンパクトになるこの帽子をかなり気に入っていた。

同じ物のLサイズはインターネット上には無く、色違いを買ってごまかしてみたが、あれはどこに行ったのかと忘れられずにいるので、今かぶっている帽子にも悪い気がする。

折立から駅まで走ったので汗をたくさんかき、それを吸っていたはずの帽子、ゴミと間違われてしまったのだろうか。

名前も書いていたのに。

トレイルランナー の服装で思うこと

今年はいくつかのトレイルランニング大会に出場した。

ランナーの服装を見てなんとなく共通項を見たように思ったので、3つに分類して気ままに書いてみる。

まずは(独断と偏見あり)、おしゃれ系に属している、属しようとしている系。短いつばを折り返したキャップ、ミラーか黒レンズの同じようなサングラス(バリバリのスポーツサングラスではない)、アースカラーや黒主体のTシャツ(ブランドロゴは控えめか無い)と、これまたアースカラーやボタニカルなハーフパンツ、色味抑えたトレランシューズ(ドロップ少な目、たまにはワラーチ)、ザックは量販店では見かけないタイプ、ぽっちゃりもいたりして体型は様々。この格好に短いヒゲと仙人みたいなヒゲの人もいる。速さは二の次と言いながらそこに振り切れていない気がするが、つぎにあげるタイプほどストイックなトレーニングはできていない。同じような格好の人たちで固まっている。

続いて、三原色の入った上下のウェアをまとい、そこにはトレイルランニングブランドと分かるロゴがしっかりとあり、つば長めなキャップやバフのようなものを被り、サングラスは鋭いスポーツタイプ、シューズは明るい色や原色を多用、ザックは有名からマイナーまで様々かつ、荷物が少なく、レギュレーション満たしてるの?と思ってしまう。細身の鍛えた脚を持ち、坂道でも駆け上がっていく速い人。競う気持ちが持ち物に表れている系。ソロでも山の中に入っていきそう。

最後。服装はどんなスポーツにも使えそうな上下で、サポートタイツを使用している場合もあり、ザックやシューズはトレラン専用だが地方の大型スポーツ量販店にでも置いてあるもの。スタイルに統一感が少ない印象。登山用品を流用しており、軽さが犠牲になっているのでは?と思う場合がある。こだわり少ない派。群れ具合はガチンコ系と同じくらい。

補足すると、このタイプの間にどちらとも言えない系も存在する。

まあ何であれ、安全に楽しく山に入れ、帰ってこれたらなんでもよいのである。

昨日薬師の下りで小走りしてたら、登ってきたおしゃれ系トレランウェアの男性2人に「走るんですか!」と驚かれた。コースは崩れやすそうだったり木道だったりはせずに走れる場所であり、格好とコメントのギャップに違和感を覚え、持ち帰ってこの記事を書くきっかけになった。

野宿についてつい力説

娘がアルプスに行きたいと言っている。

テント泊するつもりもあるらしい。

しかし、外で泊まることが怖いそうだ。

なら家の庭で練習して、少しずつ慣れていけばいいね、なんて話をしていた。

穏やかな夕食後の食卓である。

庭先で寝る話から、つい外で寝る楽しさや良さを娘に力説してしまった。

地球を!この世界で最大に安定しているこの地面を背にして、抜群の安定感の中眠ることの愉快さを語ってしまった。

趣味の欄に野宿って書ける!とまで言ってしまった。

さすがに娘も引いていた。その他大勢の人に話した時と似た反応が返ってきた。

また重たい気持ちを思い出してしまった。

目を輝かせて、明るく笑いながら聞いてくれる人がいない。

とりあえず庭タープ泊やってみよう。

北アルプス縦走 荷物考

ギリギリになって荷物を準備すると忘れ物をしそうだし、忘れ物の内容によっては、縦走諦めなきゃいけなくなるし、あたふたして寝る時間がなくなるのも困るし

で、

今日から荷物を用意することにした。これを書きながらレインウェアを用意していないことに気づいたから、早めの準備効果が早速である。

職場の売店と、近所のホームセンターで予めリスト化していた食品を買い揃え、

帰宅後、山道具コーナーから居間に、ザックと必要そうなものを移動させた。

19日の天気は剱岳、立山、薬師岳どれも雨予報である。だとするとストックシェルター よりまだ雨に強いクロスオーバードームの方が良い気がする。

しかしストックシェルター の軽さや設営の楽さはすてがたい。ポールを持って行かないのは荷物の削減にもなる。

シュラフを手持ちのものでいくので荷物が大きくなるのと、ダウンの濡れ予防が必要になる。

山小屋が、太郎平と槍ヶ岳くらいしか空いてないから食料も多くなる。水が買えない&水場の様子がよく分からないから水筒も大きくなる。

今回はチェーンアイゼンも必要そうだ。

などと考えていると荷物が増え、とりあえずカゴに入れて持った感じはまずまずの重量感。

明日は帰宅したら、再点検と不用品のカットに移ろう。

山に行きたい10月に、村の行事があったとさ

この土日は、村の秋祭り関連で消化されていった。

神社のお祭りとその準備があった。

2年前からこの類の用件がほんとに心に負担になっていて、

今年はそれに決定打を出したような一年だった。

来年は神社のお付き合い止めようかと思っている。

村に越してきた時は、子どもも迷惑かけるだろうし、自治会だけでなくこちらにも入った方がいいと思っていて、なんの迷いもなく入ったが、思った以上に自分を削らなきゃいけなかった。

これまでは削られても回復していたけど、回復ができなくなるとダメだった。

そして回復の見込みは今のところ無い。

昨日のお祭りで、隣に座った一緒に氏子当番をしているおじさまから、

「村の付き合い、特に神社の付き合いは、まずは家庭がしっかりして、余力があるあったらするものだ。だから無理をしなくても良い。そして家庭をしっかりするためには、夫婦の会話が大切だ。どんな些細なことでもいいから話し合っておくこと。そしてその姿を子どもはしっかり見ているし、子どもなりにそれを感じたり考えたりしている。その感じ方や考えを大人は忘れてしまっていてわからない。兎にも角にも夫婦が話し合っておくことが大切だ」

と言われた。確かにそうである。

地域をよくするには個人、そして家庭がよくあること、それは前提だと思う。

家庭がうまく回ってない人の地域づくりに関する発言に、どこか責任感の無さとか持続力の無さを感じるのはそこからなんだと思う。

神社のお付き合いの中で、妻と私がそれぞれ村の人から言われていることが、家庭内で共有されておらず、それぞれが地域に出てちぐはぐな言動をしてしまっていた事を受けての、おじさまの発言だったのかもしれない。

おい!お前のとこの家庭は大丈夫か?と言われたと思ったのである。

まあ、この発言を納得しながら聞いたのだがそれとは別に、ますます神社関連のお付き合いを止めようと思ったことは確実である。

TJARトレース 北アルプス編に向けて

剱岳・立山それから槍ヶ岳の山と高原地図を手に入れ(メルカリを利用)、

TJARのホームページから選手の通るコースを確認しつつ、

国土地理院地図に標準コースタイムと水場やトイレなどの情報を記入していく。

そして迷いそうなところの地図は拡大をしておく。

夕方ジョギングのあとの疲れた中での作業だったが、時間を忘れてやっていた。

週末は二泊三日、予備日プラス一日で北アルプスへ。

自分の機嫌とれているのかな。

自分の強引さ

どんなに仲良くても

相手が、苦手だ、嫌だということを

急いて急いて

仲良さを試すかのような

そんな行為は、やっぱりしてはいけなかったんだ。

と何もない1日を

同じようなことを考えている中で

ようやく気づくことができた。

相手のことを考えているようで、結局自分の考え押し付けてたんだなあと。