今日は男はつらいよ、の日

昔、家族で寅さんを見て、

自由に定職を持たず旅に暮らす姿に

「いいなぁ、こんな大人になりたいなあ」

って呟いたら、

「何言ってんの!こんな大人になったらダメだよっていってるのよ!」

って真っ向否定されたことを思い出した。

あぁ、そうなのか、ダメな大人の見本なのかって無理に理解しようと、その時はしたのだと思う。

でも今になって思うのは、自由、

痛みを伴っても、寂しさがあったとしても

ぼくは自由にあることに惹かれる性格なんだということである。

けれども、気がついたら全く自由に、というわけにはいかなくなっていた。

けど、この何にも繋がらない全くの自由は本当に自由なのか、それも分からない。

自由を履き違えるなっ!って言っていた先生の言葉も思い出される。

今ある環境を受け入れながらも、自由であることで何を得たいのか、達成したいのか、本当に望んでいることは何なのか、どうやったらそれができるのか、今与えられた課題とともに、考えようと思う。

ありがたし

僕は、いつも、人生において大切な事に気がつくのは遅いと感じている。

年齢的な発達課題への対応も、同様に遅いと感じている。

根拠はない。

そして、遅いながらも気がつく時には、そこには誰か人が介在しているように思う。

その人は私の人生においてそんなに沢山いるわけではないけど、とても印象にのこっている。

そしてみな、私の中で大切な人として認識されている。

先日そんな人に出会えた。

その人に出会えたことをありがたいと思った。

さらには、遅いと思うことも、遅い遅いと後悔するのでなく、受け入れられるようにならなければいけない。

残念なヒル

さっき外に出た。

涼しいなあと思った。

ちょっとだけかもしれないけど

涼しさがちゃんと身体に

入ってきた気がした。

感情が伴わなかったから、そういう気がした。

短時間だけど、外に出てよかったと思った。

今日は手の指に、吸血前のヒルがくっついていた。

思い出した。

期待に応えてくれるからではなくて、

何かが得られるからではなくて

その存在が大切だということ。

かけられていると勝手に思い込んでいる期待に、応えようとするのではなく、

ありのままでいていいこと。

ありのままとは?の答えは

きっと自分の中にあること。

僕が大切にしたい優しさを失ったら

僕が僕でなくなること。

今日は一日長かった。

自分の中を見てみよう。

低糖質

ファットアダプテーションなる食事法について調べ始め、最近は低糖質食を食べている。

野菜とタンパク質多めのオリーブ油やナッツ類に加え、最後に少ない糖質。

野生の食事をイメージしている。もちろんよく噛む、ら

以前、炭水化物オフ生活をしてみたら、なんだかパワー不足になり、すぐに辞めてしまった。

今度の方法は無理なく、美味しく食べられ、ひもじい思いはしないし、パワー不足を感じることはない。食後の眠気もない。

身体は重くも軽くもなく、いつでも動ける臨戦態勢で居られる感覚である。

肩は痛いけど。

そして体重も劇落ちはしないが徐々に落ちてきて、顔が少し痩せてきた。

今日は娘が渡米する前なのでお祝いの席であり、抗酸化作用の高い魚を食べられたが、やや糖質多めの食卓になってしまった。食後しばらくしたら身体が重たく、鼻づまりも出てきてしまったが、一日くらい問題はないと思うことにした。

この食べ方、私には合っている気がする。

マニアックだが近辺でエンデュランススポーツと栄養について勉強する会とか開けないかなと、ふと思った。

高度計付き腕時計

山にいる時、高度が分かると現在地を判別しやすくなる。

TJAR選考会で高度計使用は認められていて、地図読みが必要なら使わない手はない。

そして使い慣れておく必要があるので、早めに手に入れておきたい。

GPS付きのスマートウオッチはより正確な高度、というより現在地まで出てしまう、が期待できるけど、充電が必要で電池切れを懸念して使うのはストレスである。充電も面倒くさそうである。

電子系統のトラブルが起きたら時間すらわからなくなってしまうかもしれない。

GPS付きで充電不要の時計は見当たらない。

ソーラー発電式で、高度が分かって、タフで、普段もつけておけそうな時計で、かつ手が届く価格のもの、となるとCASIOのプロトレックシリーズかなあと気になっていた。

今日職場の福利厚生でプロトレックが割引で買える事がわかり喜んで購入サイトにアクセスしたが、amazonのほうが安く、購入にいたらなかった。

福利厚生で割引対象になっていたもの。

そして、この時計ダウンサイジングを謳っているがまだ大ぶりで、普段使いには向かない気がする。

そこで候補になるのはこちら。

amazonでだいぶん安価になっている。

トリプルセンサーも付いていて、小ぶりで条件に叶う。

ただ、あまりに安価で同じトリプルセンサーでも正確さに差異があるのだろうか?とか、ガラス面の傷つきにくさは上位ラインと比較してどうなんだろうか?とかまた気になることが出てきた。

よって、まだ暫く情報収集に時間をかけようと思っている。

ペツル アクティックコア 450lm

ヘッドランプを娘にあげたので

新しく買った。

ペツルのアクティックコア。

充電式と乾電池式のハイブリット仕様がほしくてこちらの商品に。

早速、職場に忘れ物を取りに行くのに使ってみた。

短時間ではあるが感想を一言で表すと、

必要十分

である。あとは長く使ってみての感想になる。ハイパワーモードは、ボディの小ささから想像できないくらいの明るさである。

操作はシンプル。

ミドルモードでも、ナイトランで十分使えそうな明るさ。

ペツルのヘッドランプ、いいですね。

山用財布

サヤマワークスの山用財布。

軽くてコンパクト

かつ必要最小限のものを詰め込める。

ナース服のポケットにも

仕事の邪魔にならずに収まる優れもの

困った点は存在感が薄いこと。

子どもたちを連れて風呂に行こうとした時

カバンの中に無い事に気がついた。

今日は着替えたナース服をランドリーボックスに出した事を思い出した。

まずい。。。

仕方がない。子たちが寝たら夜の職場に戻ろう。まだ洗濯には回ってないはずだ。もしかしたらロッカーの中に入れているかもしれないけ。

山行きの後に財布を戻していなかった。

普段用の財布に戻すのは、面倒臭がらずにやった方がよさそうである。

言葉の責任

小さい頃から本をよく読んでいる。

だからなのか、言葉の力を少しは感じている。

書かれた言葉、話した言葉、全てに力とそして責任があると感じている。

言葉は感情や思考から表現されるものの一つ。

感情や思考が揺れ動くことは当たり前のこと。何も責任は生じない。

だが、言葉に表し、誰かに、もしくは不特定多数に向けて伝えた時、そこに力や責任が伴うと思う。

だから責任を果たさない言葉は、私の中では嫌いなものであり罪である。その重さは伝えた相手への影響や、周りへの広がり具合によってくる。

自分がこれまで口にした言葉、話した言葉全てに責任が取れているかといわれたら、決してとれていない。

どれだけの人に影響を及ぼし、力になったか、力を奪ったか、考えると少し恐ろしい。

でも、やっぱり言葉に表すということは、場合によっては命をかけてでも責任をとる覚悟が必要なんだと思う。

だから自分の表した言葉を振り返って、責任を果たせる生き方をしないといけないと感じている。

とはいっても矛盾を抱える存在なので、困難なことになる場合もあるんだと思う。

柔道整復

ようやく肩を診てもらうことができた。

歯を折った時、肩もぶつけていた。

いつも残業で開店時間に間に合わず、今日は仕事を切り上げ、受診した。

右肩の挙上動作が全て痛く、痛めている筋肉を代替する筋肉も疲労しており、首や肩周りの筋肉の柔軟性が低下していた。

痛みがあると、そこをかばって身体全体のバランスが崩れてしまう感覚に、気持ち悪さが続いていた。

治療の効果は大きく、腕の動きが楽になり胸郭の動きがよくなり、久しぶりに呼吸がしやすくなった。

身体は一部が痛むと、連動するかのように別の場所も痛み、普段は意識しない不思議なバランスを取っていることに気づかされる。

痛みのある一部分のみにとらわれていると、根本となる部分の痛みに気づかないまま、バランスを崩し、症状が悪化していくのかもしれないなあと、動かしやすくなった肩に感謝しながら思った。

山梟さん。どうもありがとうございます。