西鎌尾根での出来事

TJARの宿題で、北アルプスを縦走してきた。

馬場島から新島々まで。

自分に足りないものが強くわかった。2日目以降、疲れやすい。登りも下りも。

伸び代、これからの課題と捉えることもできる。重たい荷物背負って山道歩きまくるしかない。あと筋トレ。が、それに取り組むモチベーションは未だ不明。

いつもの山と感覚が異なったのだ。

今回驚いたことに、特に2日目から、山が嫌いになりそうになった。冷たい霧風がずっと吹く中、疲労はもちろん眺めもなく、ただただしんどい時間が過ぎていた。

そんな時に出てきた思い。

TJARに向けた山は、僕にしたら楽しくないことなのでは?という疑問である。初めは疲れのせいにしていたが、どうも怪しい。何度も出てくる。

これまでの同様の山行は、まだ見た事ない景色や体験に、ワクワクが勝って前向きに捉えられていたが、こうたびたび思わされると、疑念が強くなってきた。

何でTJAR目指したんだろう?ほんとにほんとにゴールしたいのか?出たいと言っているだけ?進路を決める時と同じ状態?大切な人の代用?ほんとにしたいのは何?好きなのは何?山?沢?

気づいたら、生きている感覚が得られず、力の入らない足と上がらないスピード、歩くことに集中できない自分も嫌いになりかけていた。

それでも、進まないことにはどうしようもないので、歳のせいにして歩いていた。普段なら足を止め味わうように眺める景色も、写真に収める花々も、目にしてるけど留まらず。留まれず。メンタル良くない感じ。

目的地は槍平→双六→三脵と下方修正しつつ、水浸しの小川みたいな巻道を越え、なんとか三俣山荘のテン場に着き、寝たら変わるかもと早めの就寝とした。生活動作は澱まず行えるがテンション少し低め。

寒さで早く目が覚めた。3時間位寝ていた。

外を見ると天の川。再就寝。

0時起床し1時出発。ささっと撤収し小屋へ。水を補給しテン場を後に高度を上げて西鎌尾根に向かう。

途中、神戸から来ている同じく大会目指す方と同行も、西鎌にとりつく頃は離ればなれに。疲れが抜けておらず足が上がらない。2年前とはえらい違い。また昨日の嫌な感じが出てきた。

目の前には明けていく槍が見えている。絶景なはずなのに絶不調。この段階でこの調子なら本番は…。

でも行くしかない。呼吸に意識を向けながら一歩一歩。一般登山者よりは早く進んでいるけど、比べるところはそこではない。

飛び降りたら楽になるやろなあ。

やっぱり山嫌いかも。

とネガティブ全開であった。が、すっかり明けてきた頃振り返ってみた景色にやられた。

やっぱり美しくって震えた。この景色と同じような人に報告したくなった。やっぱり山が好きって思えた。すると脚が軽くなった。ちょうどこの辺りから西鎌は急登になるのだが進める気がした。

その日は槍から上高地を走り抜け、山賊弁当を食べ、川でアイシングのんてしながら新島々までたどり着き、松本で一泊して帰路についた。

まいど上市からのタクシーは高く痛い出費である。沢渡から先のトンネルが最恐であったのは、本戦に使えないものの新たな発見であった。

キャンプの組み立て方

キャンプとは、野外で寝食を行うことである。至ってシンプルなことである。

無駄にキャンプサイトを占領したり、贅沢品をみせびらかすことではない。

そして、野外で過ごす上で、サバイバル環境下の過ごし方は大変参考になる。

サバイバルで大切なのは、水と火とシェルターである。

おかれている自然環境によって、それぞれの優先順位は異なってくる。

暑熱環境では水とシェルター、冷寒環境では火とシェルターが優先される。

キャンプをする際には、この3要素を意識して道具を揃えると過不足なく過ごすことができる。

例えば夏にキャンプをするなら、まず綺麗な水が大切になる。水道なのか、湧水なのか、購入して持っていくのか、それをどうやって運び保管するのか、冷たいままで置くにはクーラーボックスがいるのか、沢につけておけるのか、湧水や沢水なら浄水器が必要だろうし、沢水を使うなら、河川環境を先に調べておく必要もある。

シェルターでは、考えることとして、陽を遮る素材であるか、風通しの良い場所であるか、防虫はできるのか、突然の雨に備えられるか、雨が降った時の水の流れは問題ないかということが挙げられる。さらには固定をどうするか、ペグが利くのか、立木や石を使うのか、ペグの素材は何がいいのかといった具合に考えを広げていく。

そこを飛ばして、流行りだからとか勧められたからとかいう理由で道具を揃えると、薄利多売で売る側としてはいいカモである。

などとどうでもいいことを考えていた。

大山 雲中

大山に登りたいと言う同級の友人と

本格梅雨入り前に大山へ行ってきた。

標準タイムの1.5倍想定で予定を立て風呂とご飯とお土産買うところも絞っておいた。

大山は麓に色々あるから助かる。モンベル様々。

朝3時集合。片道3時間。往復6時間。

大きく遅れることなく順調に運び、風呂も地魚も湧水もお土産も堪能して帰路へ。日のあるうちに帰宅。

軽傷とはいえ、尻餅ついた際に肘に擦り傷、打撲作ってたから、何回も休んだがもう少し休憩挟んだ方がよかったかもしれない。下りの負荷が応えたようだ。

で、山はずっと霧の中にあり、山頂のみ晴れて青空が見え、日本海や氷ノ山は見えなかったので、そこはなんともし難いところ。人と登るとそれはそれで、山について今まで見えなかったところが見えて学びになる。

珍しくモンベルには寄らなかった。

同じ歳の人と行く山は気兼ねしなくて楽である。

症状悪化

帰宅恐怖症の症状悪化。

早く自分の家が欲しい。

帰るところが無くなってもうだいぶん経った。

色んなことでごまかしてるけど

それもそのうち効かなくなってくるだろうな

ザックで担架

たまには映画

私の街には小さな映画館がある。

新聞折込に、スラムダンク上映のお知らせがあった。

初日、夕方6時の回。行けるか。

終業17:15にスタートダッシュを切るべく、

朝から仕事を回し、最後のミーティングも議題が少ない事を予想し、予定通りにお疲れさまでしたをきめ、

いつも通り小走りで通路、更衣室、通路、駐車場に。

近所のあの人誘ったらくるだろうか?満席だったらどうしよう?とか色々考えながら、帰宅ラッシュの少し前に到着。

見えたのは空の駐車場とスラムダンクのポスター。時間は17:45。最初の客みたい。

開始まで一気に人が来ることは無さそう。

利益的には問題だけど、鑑賞環境は良さそうだ。久しぶりにコーラを買ってみた。

私以外に3名を収め、ジャンプボール。チバさんの声と、ラフスケッチから始まる演出に、コミック内容の記憶が合体して、一気にスクリーンの中に引き込まれ、あっという間の2時間。

観てよかった。ほんとに。単純明快。爽快。

細胞若返った。何かを始めなきゃ!って思った。体動かしたいって。ミニシアター後の感覚では珍しいよこれは。

誘わなかったけど、近所の人にも、いいよ!って伝えたくなった。

作った人の熱量が伝わってきて、仕事終わりだけど目が覚めた。

慰霊登山

石鎚山に行ってきた。

出発の金曜夜は興奮やら気になることでほとんど眠れず、徹夜のドライブ。

愛媛に住む山友と、朝の4時に石鎚山SAで待ち合わせて、朝ごはんを食べながら登山口へ。

瀬戸内の夜明け。友は遅れてやってきた。

国道494は使わず、久万高原回り。

天気は晴れ予報。薄曇りだけど晴れるんじゃないかと期待して、沢沿いの遊歩道を歩きはじめた。

多分冬のその日も、友達は1人でここを歩いていたはず。沢の岩の水の、荒々しさや冷たさを感じながら。雪やそこからの景色に期待しながら。

今回同行する友は、7年くらい前に会った愛媛の人。亡くなった友達を紹介してくれた人。

ゆっくりゆっくり、山の空気やそこにあるものをなるべく見て聞いて触って嗅ぐように進んだ。

山頂にガスがかかってきたけど、嫌な雲は無かった。

愛大小屋を過ぎ、山頂を右に見ながら進みかけた時、霧に囲まれ小雨が降りはじめた。左手に夕飯に食べようと思って採ったウドを握り締め、進むか戻るか考えた。

憧れのウド。結局宿で炒めて食べた。

天気予報は晴れから雨に変わっていた。梅雨前線が予報よりも北に押し上げられたみたいだった。

山頂まではもちそうな天気。選択肢はピストンで愛大小屋泊、翌朝早めに下山。もしくは今から下山。もしくは山頂行かずに小屋に戻り、泊のち明朝下山。

天気詳細によると夜から早朝にかけて時間20mmの雨と強い風。

3分検討のち、すぐ下山とした。大雨の中今日登ってきた道を引き返すのは、友の疲労など考えると危ない。下山が妥当と判断した。

そうと決まればすぐに下山。

残念だからお試し就寝

デポしていた小屋に戻った。補給を摂り荷物をまとめた。お供えに持ってきた日本酒を撒き、再会を宣言。

下山後はどこか宿をとりのんびり作戦に変更。もし明日晴れてたら土小屋から山頂に行こうと決め、検索した宿に電話。

今夜の寝床確保。

冬に訪れたいストーブのある小屋

下りは長かった。下るだけなのに。

友だちの膝はけたけたと笑っていた。

何度か休みを挟みながら鳥居をくぐって下山。

車に着いたらすぐに宿に遅れることを伝えた。

亡くなった友人にもっかいおいで、冬においで、と言われた気がした。

自営業と健康

健診後の振り返りを兼ねた保健指導なる仕事をしている。

今日健診に来られた方からおもしろい話を聞いた。

社長は健康的で若々しくあらねばならぬ。という内容だった。

というのも、そうでなければ取引量が徐々に減らされていくらしい。

取引するところは、相手が健康で、仕事を長く続けられそうで、長く付き合えるかを診てくるということだった。

跡取りがいるかどうか、優秀な社員がいるかどうかも診られるらしい。

言われてみればそうだ。取引中に急死や入院、、などなどで取引できなくなったらとても困る。

だからか、その方は運動習慣をもち、タバコもやめ、姿勢も良く、確かに年齢より若く見え、実際データも若い状態であった。

元気になりたい人

健康でありたい人の願いを叶えるお手伝いができるようになりたいなと思った。

ULザック

ULザックをフリマサイトで探すと、定価より高いことがよくある。転売ヤーの仕業なのであろうが。気持ち悪い。

それで売れるんだろう。買う人がいるからその価格なんだろう。買った人はどんな気分でそれを使うんだろうか。はたまた保管しておいて、また価格上乗せして売るんだろうか。シンプルではない。邪念が入っている気がする。

そしてそれを買う行為、売る行為は

なんかULから離れている気がする。言わばスタイルだけUL。なんちゃってUL。

ULは手段であって目的ではないと思う。

経験増やして、重量という負担を減らし、減らした重さを経験で補い、より楽に長く遠くに行く。

そして段々行為や道具に無駄が無くなり、

必要最低限な荷物でより自然に近づく、溶け込む。ULはその手段なんだと思う。

尊敬する人が、なるべくなら何も持たずに山に行きたいって言ってて、すでに境地にいる感じなのであるが、

その人の選ぶものは決して軽いわけではないし、ザックは荷物でいっぱいなんだけど、けども考え的にはこっちがULに近いよなあって思っている。そしてこの荷物たくさんなのをヒョイって背負う姿がなんとも素敵なのである。

鹿や狐や熊みたいに、山を山と思わずに、散歩に行くみたいに入れたなら、どんな感覚が起こるんだろうなと、フリマサイトを見ながら思った。

八上城跡にて

何気ない会話の途中で、この人は死んでも助けたいって強く思ったその時を思い出していた。その人がいるから私も生きている。

常に電源ON

ご飯食べながらふと思ったんやけど、

何も考えずにただそこにある。そんな感覚をすっかり忘れている。

目を閉じてみると、常に何かを考えていて、常時電源入ったままのパソコンみたい。

さらに目を閉じて、一つ一つ電源落としかけたけど、またこのブログ書くありさま

頭の中空っぽにして、ただそこにあるだけになれたのは初めて歩いた沢の帰り。あの時見た空と、聞こえた音と、少しひんやりした空気と、近くを歩く人の存在。それだけに満たされた幸せな時間。

はたと途絶えて今もまだ。

次はいつなんだろう。臨終の時なんてのは嫌だなあ。