武蔵野ワークスの香水

香水、中でも国産のものに興味がある。

ネットサーフィンをしていたら、国産香水かつ良心的な価格のもので、武蔵野ワークスの樹海という香水が気になった。

お試しの小瓶を取り寄せてみたところ、なんともいい香り。樹海に行ったことは無いけれど、しつこくなく、けどなんとも嗅ぎたくなる湿り気のある香りになるほど、樹海かー!と思った。

そこから、香水が切れるたびに、ユニセックスな香りのものを一つ二つ買い続けている。

今回は、樹海と月桃を購入した。

やっぱりいい香り。

ここの香水のいいところは、早めに消えてくれるところ。つけたのが丸わかりになるのは好きではなく、ほんのわずかに香る程度なのが好きなので、これはありがたい。

小瓶と大瓶があって、気に入った香りなら大瓶でもいいのだろうけど、段々香りから新鮮さが減ってくるのと、いろいろ試してみたいので、私は小瓶のものを取り寄せている。

イワナ釣りの季節です

残雪踏み越え、ドロドロになりながら春の沢へ。恐らく第一踏。

三畳ほどの淵にはだいたいイワナが居り、サイズは20cmほど。一番大きな淵には尺イワナ。今日は全てリリース。

そこにイワナがいるとわかるだけで満足。嬉しい。

雪の上の沢靴はよく冷え、足の感覚がなくなり、さらにはポカポカに。

定番カップ麺でお昼を済ませ、も少し釣り上がって納竿。沸かしかけたお湯がひっくり返ってあわやガス缶爆発の危機。師匠がとっさに川に沈めて危機回避。

ヤマブキ咲く頃が釣り始め。

マンサクとは先ず咲くからマンサク。

今日もいっぱいいいもの見られたよい日。

よい日はおすそ分けしたくなるなあ。

5.9程度らしい

ミサイル

せっせと働いて貢いだお金が

年金として支払われ

ギャンブル産業に吸い取られ

一部はミサイルになって返ってくる

昼間から何やってんねんと

店に入るのに左車線から反対車線の車列の切れ目を狙い後ろの車を止めて、右折する車に呆れ返り

同時にそこにしか居場所がない人の立場に悲しさを感じ

あのネオンやセンスのかけらもない看板や店構えが嫌いで

学生の頃に時給の高さにアルバイトしようと思った自分を思い出し

今日も寝る。

古道巡礼

散文です。

おもしろい本に出会えました。

ナイス、氷上図書館。

高桑信一さんによる古道巡礼。ヘンコぶりが伝わってくるけど、昔々の生活道をたどる旅はどれも魅力的である。

どれか一つでも、いつか歩いてみたい。まずは近くの道から。

古道復活は、維持を含めてやらないとダメだ、みたいなことが書いてあった。結構賛成。

僕は、道は作りたくて作るのは現代的な感覚のもので、本来は目的のために地形の弱いところを見つけて、必要に応じて人が通ることで出来上がっていくものだと思っている。何もないところから、人の足がなん度も踏むことでできるものだと。

そして目的を失った道はそのまま消えていくのが自然であり、たとえそこに手を加えるならば、維持させることをやらないと、とても不自然なことに感じる。

山を歩いていて、昔の人の痕跡を見つけると、なんだかその時は昔の人と気持ちが繋がったような気がして嬉しくなる。

本を読みながら、ただ、ただ、空気のように包み込んでくれた人と、当たり前のように漂うように山や川にありたいなぁと思った。

丹波市の自宅から六甲縦走

小雨に挫けそうになりながら、金曜日のお昼に家を出発して、六甲縦走へ行ってきました。こ

国道を進みながらお昼ご飯にうどん定食、続いて森ノ本コーヒー、コンビニおにぎりやスイーツをはさみつつ、定番のくるみ餅をカバンに備え、アイガーベーカリーのもちもちドーナツ、回転寿司、カフェオレと、食欲をモチベーションに須磨浦公園まで。

西区と垂水区の間で結構迷い、Googleマップをたくさん使いました。

中継地点の塩谷駅に着いたのは夜の0時頃でした。スマホのバッテリー切れに気を遣いながら駅周辺を検索するとコンビニが無く、ガストも潰れており、残り少ない補給食で登山口へ。

4時間ビバークして、妙法寺のローソンに向け朝の7時に出発しました。シェルター内に結露が無くとっても助かりました。

明け方に何組か通過する足音が聞こえておりましたので、追いかけるべく先を急ぎました。多分追い越したと思います。

ジワジワとロードの疲れが押し寄せる中、菊水山の階段を登り、山頂でお湯を沸かして温かいご飯を食べ、30分にまとめた休憩に満足しさらに先へ。ビバークレーションはほんと便利です。

写真は撮らずただテクテクと走りを交えながら無謀状態の市ヶ原を越え摩耶山へ。

掬星台は寒い冷たい風強いの晴れてるけど厳しい環境でした。けど汗乾かしたいのでウインドシェルを脱ぎ、持ってきたあんぱんを食べしばらくの我慢。自販機コーンスープが美味しかったです。

汗抜けと同時に身体が冷えてしまい、動きが悪くなってきたので牧場あたりでレインを羽織り、オーバミトンをテムレスに交換。食べたものがエネルギーになってきたこともあり、復活したように再スタート。

藤原商店で肉まん、カップ麺を食べ、蒸しパンを買い足し、もうクリアしたとばかりに気持ちは宝塚へ。

むちゃんこ重そうなザックで縦走訓練中の自衛官を、自衛隊専用ファイントラックかっこいいなあとあ横目にパスし、六甲山頂直下のトイレで腹巻きや手袋を乾かし下山道へ。

隠れ夜景スポットで補給し、そこから先はヘッデンつけて走りながら下山。逆走する親子に挨拶し、しばらくしたら塩尾寺に降りてました。

登山口までの長いアプローチと、摩耶山の寒さが印象に残る旅でした。

あと一日休みがあったので、宝塚駅から自宅までも足で行けたのですが、弱い心に負けてJRしてしまいました。

TJAR目指すならそこは迷わず行くべきなのでしょうね。

けど、この度のおかげで充実した休みが過ごせました。

自足で行く旅は、ほんと濃厚ですね。

基地に帰りたい

感覚としてはもうそろそろいっぱいいっぱい。

色んなものを不幸せにして手放してしまいそうな感覚。

何をしても誰といても全く代わりになんてなりゃしない。余計に辛くなるだけ。

もうほんとにどうにもならないんだろうか。

助けてよ。

家から高見山周回ジョグ

先週土曜日、サイクリングガイドの下見予定だったが、集合時間の勘違いで遅刻してしまい、昼前まで凹んでいた。

サイクリングで消費するはずのカロリーで身体は重たく、心も身体も重たくなっていた。

けれども新聞で見た占いが思いのほかよい内容であり、コーヒーを淹れながら優河の新しい曲を聞いていると元気が出てきたので、走ることにした。

家から谷川駅を通って柏原に行き、くるっと回ってくるコースを予定し、おにぎりを持ち、トレランザックに防寒着とヘッドランプを入れて出発。

走っていると、路面が濡れているところがあるものの、山の中も濡れることなく走れそうな予感がし、オール舗装路は楽しくないなあと、トレイルを挟むことに変更。

129ベーカリーへ補給購入に立ち寄り、パンと玄米おにぎりを入手。

咲き掛けの梅の写真を撮り、おにぎりを食べながら向かったのは石龕寺。

そこから、奥の院まで行者道を辿ったが採石場手前の稜線に辿り着き、北上開始。

一等三角点のある石戸山で補給し、隣の無線基地局跡に生えていた低木を引っこ抜き、なるべく駆け足で進んでいった。

少し湿ったトレイルで、ジョギングシューズはよく滑た。

高見山山頂に着くと、風のない気持ちいい天気であり遠望しながら独り言。

下山を悠遊の森にと考えていたのだが、山頂直下で、ここへ、父によく遊びに連れてきてもらっていた子どもの頃を思い出し、当時よく通った佐野地区までの道で下山したくなった。あの道は残ってるのだろうか気になった。

けど道は残っていなかった。うっすらと残る道の跡らしきところを下り、沢沿いの道に出るには出たが、大水で崩壊しており、手足をよく使う冒険道のようになっていた。炭焼き跡の石積みを見つけ思わず写真。

矢降神社にお参りし、沢から流れる豊富な水を通す溝を伝って南小学校を通過し、加古川の土手で買ったパンと残りのおにぎりを食べ、トコトコと走って家まで帰った。

落ちるような傾斜の道なき道を行く、子どもの頃によくやった山歩きも好きなんだなあと再確認。家発で、ヒルが出てくる前に、何度かこんな山をやってみたい。

手を温める

山やランニングで、手袋をするのだが、手指が冷たくて困っていた。初秋から春にかけて。

体温上げたらいいのだろうかと腹巻をしてみたり、冷たさに慣れたらいいんだと、真冬の自転車通勤をしてみたりしたが、解決しなかった。

手先が冷えると体の動きが悪くなり、小さな動作、例えば靴紐を結び直すとか、ジップを上げ下げしたり、上着のフードを絞るコードを引いたりがとてもしにくくなる。

おしっこした後や、重ね着した上着を腰のところでパンツに入れ直す時なんかも、まあ手間取る。困っていた。

手は寒さのセンサーになっているらしく、冷えると身体の内部に血液を回し、末端の供給量が減って動きが悪くなるらしい。

そこで登場したのが、ミニカイロ。しかも貼らないやつ。

寒さを感じる前に、手袋の中、手のひらのところに入れる。

するとどうだろう、困っていたことが一気に解消したのである。

冷え込んだ日の仕事後のランや、100kmマラニック、先日の雪山散歩、そして今日の山行、全て手袋の厚さは異なるが、カイロが大活躍。

モンベルの腹巻と手のひらのカイロ、これらは今年度の収穫である。

さらに、ほどほどの冷えには、かいろは手のひら側に、指が痺れるようなら手の甲側に置くと効果的であることも発見した。

ミニカイロを冬場の山行のお供としたい。

味のしないごはん

夕方ごろは、今日どうだったの?とか、何してたん?とか話しようと考える。子どもたちが何を見て感じてきたのか。

けど、帰宅して、框を上がって扉を開けた途端その考えは消えかけ、話しかけられるたびに気持ちは沈み、表情が消え、鬱陶しくなり、いるのが嫌になってくる。視界に入れておくのもしんどくてまっすぐ顔が見れなくなる。そのうち調理や歩行で立てる音すら怒りにつながってしまう。うん、や、いや、や、ああ。くらいしか出なくなる。

全く想定外の事態。解決する姿の想像すらできない。心の中からその想像に至ろうとすることを拒否している。

どうしたらいいんだろ。いまや誰も助けてくれなくなってしまった。帰還場所を探し明日も明後日も、ずっとずっと彷徨うんだろうなあ。

味のしないごはん

夕方ごろは、今日どうだったの?とか、何してたん?とか話しようと考える。子どもたちが何を見て感じてきたのか。

けど、帰宅して、框を上がって、扉を開けた途端その気は消え、そこへ話しかけられるたびに気持ちは沈み、鬱陶しくなり、そこにいるのが嫌になってくる。視界に入れておくのもしんどくてまっすぐ顔が見れなくなる。そのうち立てる音すら怒りにつながってしまう。うん、や、いや、や、ああ。くらいしか出なくなる。

全く想定外の事態。解決する姿の想像すらできない。心の中からその想像に至ろうとすることを拒否している。

どうしたらいいんだろ。いまや誰も助けてくれなくなってしまった。帰還場所を探し明日も明後日も、ずっとずっと彷徨うんだろうなあ。