それでもと残っていたところも
消えかけた
このまま身も心も消えたい
元祖山になりたい男の、山になるまでの日々。
それでもと残っていたところも
消えかけた
このまま身も心も消えたい
隣町の城山で昨夜もテント泊。
朝方雨。桜が咲いていた。
お互い狂ってるね。
この動画は予告編。予告通りなら今日の夜9時公開なのだが、見つからない。もしかして、映画館?作者が体調不良?うーん、わからない。眠れない。
私は結局死んじゃったのか?
生きたかったなあ。
と繰り返し考えてました。
TJAR2022に向けて。
仕事終わりに50分ランニング。
育った町を走って回る。
最近同じことばかり考えている。でも考えを実行して期待通りにならなかったら、全てを失うからできない。何を引き換えにしようか。
後悔の重ね塗りするか、後悔したまま生きていくか。
なんでこんなことになったんだろう。起きたことは純粋だと思ってたのに。
肩の腱が切れているっぽい。
私が山を好きになったのは
きっと幼い頃から外で遊び、父に山によく連れて行ってもらったからだと思う。
好きというか、山にいることが当たり前だった。
家の方針は外で遊べだった。テレビゲームは買ってもらえず、ある日壊れてからはテレビも無い家庭だった。
山が自由で多くを受け止めてくれることに気づき、近づきたいと思ったのはつい最近だが、山や川に反応するのは、この家庭で育ったからだと思う。
おにぎり持って出かけた山で、父は山の遊びをたくさん教えてくれた。何が危険か教えてくれた。
そんな父もいつの間にか70歳になっていた。今後行ける時はそんなに無い。
昨年、父と山に登った人が、私にも父と行くことを勧めてくれた。
でも予定した日は雨で流れ、流れ流れて今日になった。
父は今日の山には行ったことがなく、父に連れられ山に行っていた私が、父を連れて行くことになっていた。
気持がいっぱいになってきたからブログ中断!
読み返して思った。
明るい傾向はやってくるのかな。
1日かけていろんな荷物を
下ろすことなく次々背負い込み
やがてその重さに疲れ果て、
眠れず、さらに苦しめられ、
それを毎日繰り返す。
好きだったものが段々離れていく。
空っぽになっていくのがなんとなくわかる。空の自分ってきっとつまらないんだろうな。
情けない。
肩が痛くて困っていたが、薪をもらえるということで、妻の友人宅へ行ってみた。特に心の準備はせずに行ってみた。
うかつだった。薪を運んでいたら周りの音も声も聞こえなくなった。お礼も言ったかどうだか思い出せない。
逃げ出したくなった。そのお宅で靴底にくっついた粘着物を、落ちている木の枝で取り去ることに集中したが周りはお構い無しに声をかけてくる。
ダメだった。
そのまま家族は出かけ、私は薪を置きに帰宅。
心の中は大嵐。
家の前で暫く止まったまま、少し治まるのを待ちました。
TJARは基地にはなりませんでした。なんでこんなに辛い思いをしなければならないのだ。
こんな人たちがいたのか