早い春の扇ノ山

扇ノ山。扇と打ったら変換候補に現れるくらいに使っている言葉。どの山が好きと聞かれたらきっと扇ノ山と答えるだろう。

ここに数年温めている登り方があった。

麓の海上地区から、雪の上を歩いて山頂避難小屋まで行き、ご飯を食べて日帰りする。という行程。体力的には行けるのだが、出発が遅れたり、新雪ラッセルに阻まれたりと、そのタイミングがなかなかやってこなかったのである。

3/23は百四丈滝の氷のドームを見に行く予定だったが、今度はこちらの巡り合わせが外れ、同行者と相談の結果、扇ノ山に予定を変えたのである。百四丈はこの日一日私たちの頭の隅に居続けたのではあるが、それでも非常に充実した山行であった。

明けてから暮れるまで雲ひとつない青空、人気のない雪上の道、真っ白で広い雪原、春を待つ芽と非日常の景色、念願の道のり。

そして何より最高の同行者の存在。何倍にもなる感動と勝手に覚える安心感。こんなに終始幸せな山行はまず無い。この人と歩けてるんだという感動で目が潤んだのは内緒である。花粉のせいかもしれないし。

今回の山旅はとても心を穏やかに満たしてくれた。充電満タン。これを書く今でも、日々の疲れで減ってはいるがまだ続いている。

来年の百四丈も楽しみである。

篠山ABCマラソンにて自己ベスト更新

TJARの次の目標

ひとまずサブスリー(マラソン3時間切り)。

しかしスピード練習が足りないのは明らか。

カロスの腕時計も予想タイム3:14。

TJAR終わっても走っているし、以前より仲間を得てトレーニング負荷は上がっている。

ならばその成果は出してみたい、自己ベスト更新はしてみたい。

前日からカフェインを断ち、食事は油物や乳製品、繊維の多いものを避け、1.5リットルのポカリを飲み、当日は糖質主体の朝食に。

で迎えた第45回篠山ABCマラソン。

結果は3:10のベスト5分更新。

公式記録になるグロスタイムとは3:11でこれは混雑するレースほど長くなる。スタート時から前に行くしかない。

30キロ過ぎてからが本番だと言い聞かせ、腰を落とさないよう心がけ、10kmごとにマグオンを摂りスポーツドリンクで給水。

篠山の美味しいお菓子エイドも、しし汁も手をつけず、今持つ力を出し切った。

35kmあたりからの失速は著しかったが、現状なりに踏ん張れた。

サブスリーは来シーズンに持ち越し。夏にトレーニング頑張るととした。

今日は整体でメンテナンス。

疲れて右肘が開く悪癖が出ている。

tjar2024 完走記録 その3

レース3日目、8月13日。同じ場所で寝ていた2名の選手(保谷選手と田中選手)に少し遅れ5時ごろにスタート。天気予報は晴れ。目指すのは60㎞先の中央アルプス木曽駒ヶ岳コガラ登山口です。この日は道中に選手のオアシスと名高いスーパーマーケットまるとのほか、自販機やコンビニもあり、食欲を推進力に進むことができました。

 グレンパークさわんどから奈川渡ダムの区間にも側道の狭い(ほんと狭い)トンネルがありましたが、早朝の上り車線は空いており、ジョギングで通過。過去一番早い通過に拍子抜けしたほどです。ダム駐車場で補給し、まだ日の低い時間に淡々と一定のペースで木曽に向け野麦街道を進みました。時々道行く方や地元の方に応援をいただきました。奈川渡ダムから10km先にあった桝屋商店では境峠前の長めの自販機休憩を取りました。お店の方からスイカを勧めてもらいましたが、ルール違反となるため我慢です。日が昇り暑さが増してきました。境峠9時50分通過。そこから藪原駅まで下り基調です。しばらく道路脇に生えている野いちごを摘みながら距離を忘れて歩きました。山菜やキノコを採りながら歩くと、いつの間にか山深く入り込んでしまうあの現象の応用です。ただひたすら暑く、日陰を求めて小走りから早歩きで黙々と進みました。道路脇に流れる水で帽子や服を浸し体を冷やすこと度々、選手OBの応援もありなんとかスーパーマーケットまるとに到着しました。ここは店長さんのご厚意で選手用の休憩スペースやアイシング用の氷バケツが用意してあります。冷房の効いた店内に飛び込むとそこはまさにオアシス。冷やしきしめんにシーチキン、揚げ餅、メロンに脱アルコールビール(アミノ酸たっぷりで疲労時に好適)を購入。追加で塩分補給用の味噌も。ともに進んできた選手とランチタイムです。雑誌の取材を受けたり、脚だけでなく頭も冷やしながら居心地が良すぎて90分も滞在してしまいました。

 そしてまた炎天のもとへ。道路の電光掲示板には危険な暑さ、不要な外出は中止と表示されていました。チェックポイントである藪原駅を過ぎ、木曽路を南下します。途中のコンビニ一軒目でアイスを、二軒目ではスイーツやおにぎり、パン、この後命を救うミニカップ麺を購入。別荘地帯と抜けコガラ登山口手前のきらきらキャンㇷ゚場でお風呂に入り(汚い選手3人が集う脱衣所の様子は想像にお任せします)、シェルターを張って食事を済ませすぐに休みました。短めの3時間で起床。先の檜尾岳キャンプ場で追加仮眠予定とし、先に進んでいた選手を追うように真っ暗な福島Bコースを登り始めました。クマが怖いので奇声を上げ進みました。8合目水場で選手に追いついたときに雨が降り始めレインウェアを装着。玉乃窪山荘到着は14日の夜2時ごろでした。そこから先は風を遮るものがないためインナーとレインウエアを追加し、防寒手袋に交換。頂上木曽小屋からは雨に加えて霧が濃くなり、頂上を超えた辺りから体の冷えを感じ始めました。近くにいた選手も離れ、視界が悪い中わずかな遠くの明かりと地図を頼りに宝剣小屋に向かいました。徐々に体が冷えてきていました。有人チェックポイントである宝剣小屋に着いたのは2時50分。体が震えており低体温によるリタイアが頭をよぎります。スタッフの「TJARぽくなってきた(笑)」のコメントに、そういうレースだったなと思い直し、小屋の長期滞在は失格となるため、すっかり嵐の様相になっていた外に飛び出し、ビバーク態勢に入りました。体の震えが強くなる中過去最速でシェルターを張って中に飛び込みました。必死だったので気づきませんでしたが、この様子を動画に撮られていたことは後に動画が公開されて知りました。YouTubeでご覧ください。シェルター内では濡れた衣服を乾いたものに換え、持っていたすべてを着込み、ブドウ糖と水、さらに糖質を摂取、シュラフカバーにくるまって眠りました。

 寒さで目が覚めると辺りは少し明るくなっていました。雨と風は止み、小屋泊から起きてこられた方の笑い声が響き、換気口から見る外には半袖で歩いている人が見えました。シェルターの薄い布地の内と外は別世界。思わず笑ってしまいました。震える体で湯を沸かし、麓で買ったカップ麺をこんなにうまいものはあったのか!という感動とともにいただきました。しばらくすると震えは収まり、泊まったのがキャンプ場でなかったためにきまりも悪く、麓で天候判断をし、仮眠ではなくしっかり休んでいれば陥らなかった事態に反省しつつ、そそくさとシェルターを畳んで出発しました。島田娘まで来ると気持ちは落ち着き、寝不足ながらも太陽の温かさに癒され、濡れた服を乾かしながら先に進むことができました。低体温から回復した体に寝不足が加わり、中央アルプス全般疲労感の多い縦走となりました。あまり景色は覚えていません。木曽殿小屋で水を買い、酷暑の中濡れたものを完全に乾かし、空木岳着は12時ごろ。駒石で10分の仮眠。小地獄の辺りで眠気と疲労と空腹の三重苦でレースを辞めたくなりましたが、その先にある駒ケ根での食事を思い浮かべて乗り越え、補給を摂ってしっかりと休み下山したのが16時30分でした。

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ここで友人の応援を受け気持ちが回復。駆け足ですき家駒ケ根店に向かいました。試走時から決めていたメニューを注文し充電満タン。そこから先は南アルプスを越えるまで買い物できる店がないため最後のコンビニで二日分のご褒美和菓子を購入。この日駒ケ根付近は花火祭りだったので花火が見られるかなと同行の選手と話しながら先を急ぎます。と、ここにきて道路が川になるような大雨に。土砂降りの道を、ヘッドランプを灯し、花火を背に分杭峠方面に。その選手の様子をこれまたレーススタッフが興奮気味に写真に収めていたそうです。 時々すれ違う人が、傘も差さずに進む私たちの姿を怪しんで見ていました。天竜川を越えると人は減り雨脚も弱まってきました。徐々に暗くなる県道49号線を東へ。徐々に同行していた選手も離れ離れになり一人の時間となりました。

 ただひたすらヘッドランプが照らす道を見つめ一歩一歩進みます。幻覚か幻聴を期待していましたが外れ。そのうち雨が止み中沢峠に到着。北に向きを変え市野瀬チェックポイントに着いたのは23時35分頃でした。低体温、酷暑、土砂降りと振り幅の大きな一日が終わりました。ここ市野瀬はあらかじめ自分で送っておいた荷物を受け取り、不要なものは返送できる重要なチェックポイントです。休憩用のスペースが確保されており、水平で雨のかからない5つ星ホテルのような所です。湿った服を干し、乾いた服を着て自分で用意した柔らかいマットで寝ることができます。OS1を飲み、アミノ酸を摂取、体を拭き、マッサージや携帯やバッテリーの充電をしながら書いておいたTODOリストに従って過ごし、いびきがうるさいと噂の選手から離れてぐっすり4時間半も眠ることができました。起きたらささみ肉と温かい力うどんを食べ、補給食を追加。レインウエアとシェルターも台風に備えて(台風接近予報が出ていた)より頑丈なものに交換。足ケア後用意していた乾いた靴を履き、トイレを済ませ、5時半、仙丈ヶ岳へ出発しました。

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(レース中乳酸菌錠剤を摂取しており常に快便だったがこれは重要だと思う)TJARは南アルプスからが本番と言われています。長い地蔵尾根が始まりました。

tjar2024完走記録その2

8/11 深夜0時。魚津市ミラージュランドから馬場島までのロード29km。4時到着とし、息を上げないジョギングペースを心がけ近くを走る選手と会話をしながら進みました。深夜の路上で多くの応援をいただき、着いたのは3時20分。周囲の選手につられオーバーペースだったので、20分休みをとり早月尾根へ。◯合目のプレートに標高を確かめながら明るくなる急坂を登ります。早月小屋で水を買いヘルメットを装着。危うくスポーツ飲料を買って失格となるところでした。森林限界を超え立山方面からの硫黄の匂いを嗅ぎながら8時40分、山の日で賑わう剱岳山頂へ到着しました。その先のカニの横ばい辺りは渋滞で、休憩も兼ねゆっくり進むつもりでしたが休む暇が無いくらい多くの方に応援をいただき、剱山荘に10:25到着。すぐに足のケアを行い、他の登山者が飲むコーラを横目に食事と給水を済ませ剣澤へ。右膝に違和感があり気がかりです。別山への登りから振り返ると、明るい剱岳が背中を押しているようでした。チェックポイントである大汝を入念に通過し、一の越山荘に待つ友人夫妻のもとへ。応援に元気回復です。

そこからは完走最低ラインと言われているスゴ乗越小屋を目指し、人の減った縦走路を龍王、獅子と順調に進みました。越中沢岳では真っ赤な夕陽と雲海を見て「これはご褒美だね」と選手同士会話しながら進みました。ヘッドランプを装着し、スゴの前の嫌な上り下りをやり過ごし、濃い霧に包まれたテン場に着いたのは20時ごろでした。迷惑にならないよう息を潜めぎゅうぎゅうのテン場で小岩を枕にシェルターを張り、夕食を済ませ就寝。疲れていたのですぐに眠りに落ち4時間で起床し2日目を迎えました。綺麗になったスゴのトイレに感謝しながら北薬師へ。岩ゴロゴロの登りはあっさりと通過。睡眠とご飯の力は偉大です。静かで快適な稜線歩きが続きます。左の薬師見平や白んでくる山の端に心が躍り、右に折立から登ってくる人のランプを見つけてワクワクし、気づけば薬師も通過というところでした。チェックポイント通過漏れがないよう、薬師岳山頂碑にタッチ。朝日を見ようと登ってこられた方と朝の挨拶です。薬師峠キャンプ場では神戸から来られていたトレランチームの方にも応援をいただき、日差しを感じる6時頃太郎平小屋へ。足のケア、補給、日焼け止め塗りを済ませ、同じペースで進む岐阜県の保谷選手と先へ進みます。遠くには今日越える槍の穂先が見えていました。トレーニングで同じコースを通った時は、遠さにやられましたが今回は行けそうです。北ノ俣岳の雄大さや黒部源流の緑に歓声をあげ、途中キジ撃ち跡を踏んでしまうトラブルを乗り越え、黒部五郎のカールで体を冷やし、双六小屋に13:40到着。ここで長めの休憩としたところに、静岡から友人が応援に来てくれました。しっかり食べて続くは2日目のハイライト西鎌尾根です。幸い風は弱く空は薄曇りの好条件。脚の合った選手と声をかけ合い進みます。過去には辛すぎて山が嫌いになりかけた場所でしたが、共に進む選手の姿や出発前に貰っていた「楽しんでおいで」という言葉で自ら奮い立たせ、一歩一歩前に進むことだけを考え乗り越えました。日のあるうちに槍ヶ岳山荘に到着。大会スタッフによる体調確認を受け、足のケアを済ませて上高地で絶対にコーラを飲む!を目標とし先を急ぎます。ババ平に着く頃あたりは暗くテントの明かりに一安心。20時、横尾山荘到着。足元がよくなり、コーラ目指して脚のの合った選手と共に、さらにギアを上げ進みました。明神館では楽しみにしていた自販機が近づいてきましたが、どうも様子が変。なんと自販機は電源オフ!腰が抜けそうになるところを踏ん張り、通行止めの梓川左岸を迂回し、右岸ルートをスタコラ歩いて先を急ぎました。河童橋を渡り、小梨平チェックポイント通過後念願のコーラを飲みましたが、夜の上高地は肌寒く、思っていたほどの幸せ感は訪れませんでした。何も見えない観光地を進みます。この先にある釜トンネル帯は歩行不適区間であり、夜間通過が快適でした。西鎌尾根上から電話で露営許可を取っておいたグレンパークさわんどに到着したのは深夜。軒下、水平、トイレ有りとこれ以上ない場所で夜明け前まで眠ることにしました。足を乾かし歯を磨き、シュラフカバーに潜ればすぐに朝。4時間半の睡眠でかなり回復していました。朝ごはんを食べ足のケアをして3日目スタートです。いつの間にか右膝の違和感は消えていました。3日目の灼熱ロードが始まりました。続く。

tjar2024完走記録 その1

さて、このレースを知ったのは7年前、たまたま地元の図書館にある“激走!日本アルプス大縦断”というNHKが出版した本を読んだ時のことです。そのスケールの大きさに驚き憧れ、レースのファンになりました。さらにDVDや大会報告書を購入し自分が出る姿を想像したこともありましたが、遠い夢のようなものに捉えていました。ところが、その翌年自分の存在を揺るがすような出来事があり、自分自身が嫌になり生きていく自信を持つことができなくなってしまいました。このままではまずいと思い、生きる希望を持つためにも強力な目標が必要となり、そこへ閃いたのがこのTJARでした。  

 同じ頃に、2016年大会に出場した選手の完走報告会に参加する機会があり、一ファンだった私が、その選手の「オリンピックは無理でもこの大会なら努力すれば出られる」という言葉に感銘を受け、気持ちを固めました。

 そこからは、完走を目標とし必要な能力を伸ばすべくトレーニングを開始しました。

 まずは走力ですが、マラソン3時間20分以内、もしくは100kmを10時間半以内という要件を満たすひつようがあるため、マラソンのトレーニングを行いました。といっても職場まで時々走って行ったり、仕事後に軽くジョギングをする程度でした。それまでにも体力作りの一環としてトレイルランニングをしていましたし、自転車競技で培った体力もあったので、なんとかなるだろうとこの要件を甘く見積もっていました。またアルプスに行ったことがなかったので、2018年10月馬場島から剱岳に登ってみました。コースタイム9時間のところを3.5時間で登れたため、走力や登坂力があると思い、その翌年冬にマラソン大会にエントリーしたところゴールまでに4時間10分もかかってしまい、勘違い甚だしかったことに気がつきました。そこから、強度、走る距離、時間を少しずつ増やしていきました。2022年には3時間23分までタイムが縮まりましたが、あと3分足らずエントリーを見送りました。そこからはスマートウォッチを使い数値でトレーニングを管理するようにし、ようやく2023年に要件をクリアしました。

 山で必要な能力については、年間を通して丹波山岳会の先輩方に地図読みや天候判断、装備選定や山の生活技術など多岐に渡ることを教わり、それらを応用して夏休みに1泊から2泊の単独行アルプス縦走を重ね、春や秋は日本各地の長期山岳縦走路を歩き、自分に必要な装備や水分、食事量を見極めていきました。下山後、登山口に置いた自分の車まで走って行ったり、自宅から神戸に走って行った後に六甲縦走するなど、夜間を通して長時間行動するトレーニングを毎年行いました。他にも自宅の庭で何度も4分以内にシェルターを建てる練習を行い、寒冷期には建てたシェルターで寝て、夜間のアルプスを想定した気温10℃前後で寝るために必要な道具の見極めも行いました。さらには、暴風雨の中氷ノ山の稜線を歩いてレインウェアの着方を工夫したり、休憩後は忘れ物や落とし物が無いか、トイレに座る前には開いたポケットに落としたら困るものは無いかチェックすることを習慣化させました。近くの山であっても紙地図を持参し地図読の訓練も繰り返し行いました。おかげで地形図を見ながらご飯が食べられるようになりました。身の安全は確保しながら装備をなるべく軽くする必要もあったため、山道具に関する情報収集にも時間を使いました。

 完走を目指していることを職場や友人完走に伝え、各地の神社や七夕、流れ星、ご先祖様に祈願し、前年度からは山好きとしては考えられないくらい有給取得を最小限に抑え2024年を迎えました。5月から始まる書類選考とその後の抽選を通過し、初夏の実地選考会ともう一度の抽選を潜り抜け参加が決まりました。職場では上司やトレイルランニングを行う医師に報告し、同僚にもDVDを観てもらい準備を進めていきました。

 そしていよいよレース当日、といっても真夜中0時にスタートなので、徐々に緊張感の高まるスタート会場でそれに呑まれないよう気持ちを保ち号砲を待ちました。真夏の早月川河口にあるミラージュランドには、スタートを待つ観客がたくさん集まり始めていました。

冬休み残り2日は寝て過ごす

お正月登山から帰ってきたらなんだか体調不良。微熱と咳。インフルかマイコかなんかの風邪か。

仕方ないから予定キャンセルして寝る。

走りたかったし山行きたかったし残念無念。

ここは、おしまいの地

探し求めて、春日図書館で借りた本。

さみしいけどクスッと笑えて時々チクッと刺さる内容。

中学、高校の頃を思い出した。それももう大丈夫って思えたけど、それも束の間だった。

気を抜けば、寂しさだけはまた戻ってしまうような気がして、読み進めるのに力が必要。

ツェルト

ツェルト歴

①ファイントラック ツェルト2ロング

使い勝手は最高。雲の平泊で使用。のち気持ちの整理のために譲渡。

②ヘリテイジ エマージェンシーツェルト

泊まれる広さのある中で最もコンパクトか?換気口の形が保持しにくいが、スナップボタンの使いやすさとコンパクトさが魅力。奥側の壁が分かれないのでタープ的な使いにくく、居住性とサイドリフターが欲しくて、山始めた方に譲渡。

③ファイントラック ツェルト2

メルカリで見つけた。素材と適度な広さ、サイドリフトいけるので購入。革新的素材が出ない限り、たぶん上がりの一張り。

ストックシェルターやクロスオーバードームも使いやすいが、どんな地形でも使えて、搬送にも使える応用範囲の広さでツェルトに一票。

時々張る練習(8分以内)しながら使いこなしたい。

 

TJARの報告会と慰労会

友人たちが開いてくれた慰労会。

あっという間の2時間半。

自分のゴールシーン動画を見て、確かに感動するんだけど、何か他人の出来事を見ているみたいで変な感じだった。だいぶん前の出来事のような感じでもあった。自分の中に、あの時と同じような感覚が湧き上がってくるかと身構えてたが、それは起きなかった。

なんでか?

目指したきっかけは確かに自分に自信がなくなり、そこからの脱却のためだったが、今日か昨日あたりから、結局心の拠り所を避難的にでも見つけなければいけなくなって、それを探すのが直接のきっかけだったんだなあって思うようになっている。要は安全基地探しであったのかと。

ということは、完走は見つけたかった心の拠り所にはならなかった、ということなのかもしれない。

居たいところはそこではなかったのだろう。

今でも強く覚えているのは、初めて行った沢の帰り道の出来事で、その時の空の色と、近くを歩く人とそこに居れる満ち足りた、自分の内と外の境目が曖昧になる感覚であり、他人事に思える今日の感覚ではなかった。