土を喰らう

頼んでいないのに有給休暇となっていた11.7。予定が無かったので、前日に知人に「何かいい山ないかなあ?」と尋ねたら返事がなかった。6日の夜は雨で、近くの山の状態は良くないことが予想され、何となく山に脚が向かず諦めた。

かといって、家に居たくもないので映画と図書館!とざっくり予定を立て、出勤日より少し早めに家を出て、まずはモーニングショーを見に行くことにした。

土を喰らう十二ヶ月

沢田研二の演技を知らなかったので、つい身構えたが(アラに目が行き内容を楽しめなかったらどうしようという心配)、松たか子に安心感を覚えこの選択。

まとめると、リトルフォレストの老年版という感じ。その日の献立は畑を見て決めるという憧れの暮らしがあった。自然をより際立たせる青いSUZUKIのSX4に時々目を奪われながら、独りだけの映画館で存分に楽しめた。

図書館へ移動。

カウンターに多分健診で担当した方がおられ た。他は暇を持て余していそうな高齢者が数名。平和な場所である。する事なければとりあえず図書館は間違いない選択であり、今回もそうであった。5冊気になったものを借り外へ。

ちょうどお昼時間。ポカポカ陽気に暖められた蒸すような 車の中で食べる気は起きず、やっぱり山へ。近くの甲賀山の東屋の下でお昼にするとした。落ちてる枝を削って箸にし、やっぱり外はいいなあと思いながら弁当を開けた。

数口食べたところで、弁当を持つ左手にチクリと刺す痛み。気のせいかとやり過ごそうとしたが、確実に痛い。

恐る恐る見てみると、なんとヤブ蚊。11月に!?と驚いたために一瞬叩き遅れたが、ハラリと成敗。よしよし、と視界を広げると飛び回る蚊達。包囲されていた。

仕方がないので、離れたベンチに移動した。そこは頭上に屋根はないが柿がなっており、デザートになるのでは?と期待の持てるまた良い席であった。

が、たちまち蚊に発見されてしまった。そのタイミングで箸が折れ、異常気象への文句を頭に浮かべながらまた移動。

最後はウロウロ蚊から逃れながらの立ち食いになり、せめてもと齧った柿は、熟していながら激渋であった。

土を喰らう暮らしにはまだ程遠いと思う日であった。

白沢登山口スタート 餓鬼岳から常念乗越往復 一泊二日の旅(2日目)

深夜の移動

9/16 23:00 常念小屋のテン場で起床。雨の浸水で右足が濡れており不快で目覚めた。覗いた外は星空だったので安心し、目覚ましより早くに起きることにした。熟睡はできなかったが7時間近く寝たので大丈夫と思うことにした。本番なら4時間である。

まずはヴィヴィから上半身を出し、レインを着る。足にプロテクト1を塗り、夜ご飯の残りとパンを食べ、炭酸水で歯を磨き、濡れのひどい箇所とヴィヴィ内部を拭き、濡れていない防寒着の上下を防水袋に入れ、昨夕干しておいた行動着に着替える。外ポケットにテントとアンダーシートを入れる計算でパッキングし撤収。

トイレに行ったがおしっこだけ。

9/17 0:20出発。ストックシェルター2人のうち1人は出発準備していた。他のテントからはまだまだ眠りの気配。「山の朝は早い」と心の中でつぶやく。小屋に炭酸水のペットボトルを捨てに行ったら、星空観察の人と、まだ起きてる人に出会った。星空の人は驚いた顔をしていた。

まだ起きてる人がいた。のんびりが羨ましい。

大天荘までのアップダウンは、準備運動と思い飛ばさず、山椒魚?観察したり、槍の上や晴嵐荘あたりに灯るヘッドランプの灯りを見たり、自分の灯りを消して登山道途中でたたずみ、山との一体感を味わったり、7割ペースを保ちながらも余裕を持って進んだ。

深夜の四つ脚

途中トレランぽい人とすれ違った。

2:40大天荘のテン場。150%の混み具合で、3割くらいは灯りがついて出発準備をされているようだった。さぞ賑やかな夕方だっただろう。

大天荘テン場の灯り

喜作新道を降り、木の梯子を登り返し、温まってきた体を進めていく。

本来ならいい眺めなんだろうけど、ぼんやり稜線が見える程度でちっとも楽しくない。歩き方を意識したり、オリオン座の移動角度を見たり、とりあえず何かに気を移しながら燕山荘のコーヒーを目指した。

燕山荘の朝

5:00燕山荘到着。少し離れたところから、すでにヘッドランプがチラホラ見えていたが、たくさんの人。日の出を見る人たち。

濡れた靴下履いた人いなさそう

売店は4:50開店となっていたが、宿泊者向けのみだったのだろうかずっとcloseだったので、行動食を食べて移動。このまま白沢に戻ると、コースタイム不足なので合戦小屋まで往復した。

寄り道

これで合戦尾根を少し歩いたと言えるかな?などと考えながら明るくなってきた山を朝一番に登り始めた人とすれ違いながら小屋まで。下の衝撃で狙い通り催し、小屋に着くと料金後払いにしてトイレへ。キレイなトイレに思わず感謝の言葉が出てきました。

用を足したら200円を払い、靴紐を結び直して再び燕山荘へ。

降り登りと5割のペース。燕山荘であんぱん食べてコーヒーを飲みながらプロテクト1を塗り、残りの水を確認して再スタート。

銭集めの上手い燕岳に立ち寄り

お金持ち燕岳
私の知っている女王のがキレイ

暑くなりかけた稜線を餓鬼岳へ。

燕岳を越えると途端に人気がなくなった。

急に人気が消える。

と、ここで、剥き出しの膝と膝上15cmに触れるハイマツに染みるような痛みを覚え始めた。昨日からの日焼けと度重なる木々の攻撃に、痛みへ敏感になっていた。かといってレインを着るには暑く、下山後の温泉で痛むこと覚悟し突撃。下山までこの地味な戦いは続くのであった。

杖を届ける

さて、人気の無い稜線もやや高度を下げ、樹林帯にさしかかった頃、一本のストックを拾った。freelightのストック。わざわざここの杖を買うのはこだわりのある人。きっと残念がるに違いない。運良く届けられるかも。すれ違った登山者はおらず、ここを通る人はおそらく白沢登山口を通るだろうから、最悪そこに吊るしておけばいいかと思い、見えぬ先行者を追ってみることにした。ただ歩くより目先の目標があった方が歩きやすい。

8:30 東沢乗越。まだ杖の持ち主は現れない。すれ違った人が2人いたが一本杖の人は見てないらしかった。そういえば1人はOMMのクラシック背負った宿題してそうな格好だった。

確か岩場が始まってすぐだったか、先行者の姿が見えた。遠目に一本杖。ペースを上げて近づくとそれっぽいこだわりのありそうな格好。声を掛けるとFreelightの杖!

いいお知らせ持ってきましたよ!と言ってザックに刺しているストックを見せてもさっぱりななお顔だったので、ザックをおろしてストックを外していると驚きの雰囲気。

やっぱりこのかたのストックでした。落としたことに気づかれておらず、喜んでもらえたので、私も嬉しくなり疲れが減少。餓鬼岳で泊まると言われ、互いに来し方行く末を話しお別れ。

また出てきた餓鬼の看板

餓鬼岳テン場には既に3張りテントがありました。日光による傷みは平気なのかしら?とつぶやきつつ、

10:55 餓鬼岳小屋到着。小屋の方に許可をいただき、濡れたテントや手拭いを干し(良い風にすぐ乾いた)、最後のバームクーヘンメロン味を食べた。

11:20下山開始。

登ってくる人に度々出会いながら、後ろから駆け足で降りてくる人がいたので、私も重力に任せて駆け足。

12:20大凪山山頂

さらに駆け足で進み、沢地形に入っところで歩きに。ここから先は走ると落石起こしそうでした。深夜に見えなかった滝を目指していると沢の音。

魚止めの滝

想像より少し上いくきれいな姿

流れに足を浸し、パスした水場の水を味わい、時々現れる餓鬼の看板を楽しみに下山。

登山口再び

14:15 白沢登山口到着。コースタイム7割以下。行きも帰りも7割以下でこれで夏の宿題終わり。

気づきや大町のこと

つい長居したくなるが、休憩はテンポ良く。お腹をすかさず、しっかり食べて歩き続ける事が大切だなと、8月の気づきを再確認。

大町で温泉入って、お土産買って、三俣山荘図書館にテンションあがり、ネパール料理を食べ、街の中の湧き水汲んで帰路に。商店街の隙間から見えるアルプスの山々に、大きな山の見えるところに住めるっていいなと何度も思う。

こんな水の湧く場所に住みたい
ここのネパール料理屋さん美味しい。他に何も食べたくなくなるくらい。予想外の出会いに感動。

白沢登山口スタート 餓鬼岳から常念乗越往復 一泊二日の旅

9月15日 移動日

午後半休で、丹波から長野へマイカー移動。登山口には4台の車。2台は灯りがついていた。

予定より遅い到着なので仮眠時間を短縮し2時間。ほぼ眠れず。その間にも車が2台到着。

9月16日 登山1日目

23時に起きて朝ごはんと着替え。

0:30登山口。星が見える。山がぼんやり明るい。沢沿いの道を登っていく。沢登りみたいなコースやハシゴや崖の上にある足幅くらいの木道、熊糞落ちる笹藪を抜けていく。後方遠くに登山者の話し声。追いつかれまいと一定のペース。最後の水場の、最後、を甘く見積もり給水せずに登る。

4:51餓鬼岳山頂。

5:00開店したての小屋で南アルプスの水を買う。400円。最後の水場で汲んでおくのが大切。餓鬼岳テン場で朝ごはん。朝日がキレイ。

7:20東沢乗越到着。朝ごはん第二弾。不揃いバームクーヘンチョコ味。まだ後ろから登山者の声。逃げるように出発。

9:13燕山荘到着。コーヒー買ってしばし休憩。合戦尾根を上がってきた人と少し会話。その人お腹出とってやけど早く歩けるらしい。聞いてもいないのに15時過ぎから雨と、事前に調べていた通りの話題を提供される。涸沢では水場が枯れたらしい。

槍の上には怪しい雲。

11:19大天荘。大きな声の小屋職員が元気に食事を運んでおられた。男の登山者たちは疲れ切ったのか取りに行かず、持ってくるのを待っていた。ここでもバームクーヘン。今度はメロン味。

ここで今回の食事

行動食。スライド式のジップロックに詰め替えてます。一つはラムネとバナナチップス。もう一つは糖衣ナッツにピーナッツ、カレー味スナック、梅ざらめ柿の種をサイドポケットに、カバンにはカルパスのミックス、あと小餅にスナックパン。さらにはネリゴマとバームクーヘン。

主食はポテチラーメン乾燥野菜ミックス。

1日2000kcal計算。

話は戻って。。

12:57常念小屋。テン場料金2,000円を払って水を買う。ハーゲンダッツの看板があったが興味そそられずスルー。

テン場は7割ほどの混雑。同じストックシェルターが他に2人。いろんなテント見られるのは楽しい。風上に入り口設置する人の多さにびっくり。

コース確認したり足裏ケアしたり、夕飯のお湯沸かしたり、炭酸水追加購入してみたり、0時出発に向けてのんびり行動。

夜中の雨はヴィヴィ内まで浸水。雷なってたけど無理やり寝た。ふて寝。

翌日は続きで

ザックと足元のバランスより

大きな大きなULザックに、最近流行りのV000ベアフットシューズで、月明かり道具店で揃いそうなウェアを身にまとい、顔色悪く限界寸前のヘロヘロ具合で歩いている登山者を見かけた。

その人の上で登山者の利益と、モノを売る側の利益が戦っているように映った。

その人の体力で大きな荷物を背負い不安定な足場を歩くには、靴は役不足に思えた。

その人がもしその靴で歩くなら、荷物はもっとコンパクトに軽く収めた方が、体力的に余裕が持て、安全な山行になるように見えた。

靴やザックはショップの人と相談しながら買ったのだろうか?はたまた実験的にやっているのだろうか?いやいやトレーニングでやっているのだろうか?あのまま下ると足首捻るなぁ、などとお節介で独断的な考えが溢れてきた。 

道具は目的達成の手段であり、ステータスを求めることを除けば、持つことは目標ではないと思うのだが、そこに儲けがからむと歪みがでてくる。

靴は履く人を安全に目的地にはこぶ役目があり、ザックは山で過ごす上で必要な道具を持ちやすい形にして運べるようにする役目がある。足を引っ張るような、登山者の利益を害することがあってはならないはずなのだ。

しかし、モノ売り側の利益は、足首を挫きそうでも、重たさに苦しんでいようとも関係がない。買う人が使いこなせていなかったといえば済む話である。

山の宿題

7月は、馬場島から五色ヶ原、五色ヶ原から三俣山荘、三俣山荘から新島々

8月は、分杭峠手前から熊の平小屋、熊の平小屋から三伏峠を経て分杭峠手前まで

9月予定は餓鬼岳から常念小屋、常念小屋から上高地。

9月は防寒アイテムで少し荷物が重くなるかな。初めての道だから少しは楽しめるかな。台風あっち行けだな。

宿題のおかげで、イワナや沢に費やす時間があんまり取れなかった夏だった。

最後まで夏だと思って足掻いて遊ぶぞ。

奥美濃 金ヶ丸谷沢登り

ぽっかり空いた土日。春に行き損ねた沢泊をするため、三周ヶ岳周辺の沢へ。

福井県側にある夜叉ヶ池登山口を7:25に出発。すでに暑い。先行者あり。

夜叉ヶ池 8:25到着。

そこから岐阜県側に下り、登山道脇の枝沢から9:37入渓

11:10 頑張って詰め上がった先は、稜線上の藪乗っ越し。ザックを下ろしてしばし休憩。10分休憩、コンパスで方向合わせて根洞谷へ下降。誰かの記録で懸垂下降繰り返すとあったのを思い出した、一応ロープを首から下げておく。

11:50根洞谷入渓。ロープ使わず降りてこられた。

指差す方が降りてきた沢

矢のように泳ぎ隠れる魚を目の端に、時々湧き出る水を飲み、金ヶ丸谷出合いへ沢下り。困難なところはなく単調にひたすら歩く。

14:40出合い到着。一休みといきたいが、アブにたかられ逃げるように金ヶ丸谷へ。

沢登り開始。

右方向に金ヶ丸谷。足元にはアブ大群。

少し予定より遅れていたので、励谷出合い付近に泊まる予定で歩く。左上腕内側をアブにちくりとやられ、水に入るシーンも増え、夕方近くなってきたので長袖に更衣。そしたらいつのまにかアブがいなくなっていた。

ところで、沢は綺麗の一言。気になるのはカモシカの足跡。砂地に必ず付いていた。鹿より大きな足跡。

単調さは変わらず。

励谷出合いから少し上流の右岸に平坦地を見つけ、1日目終了とした。ここまで人の匂いはほとんど感じなかったが、ここには先人たちの沢泊の跡がクッキリ。タープに使ったであろうトラロープとブルーシート、さらには男物のパンツが2枚捨ててあったのはびっくり。錆びたガス缶多数。

石の少ない平地にシダを敷き、その上にテントを設営。

次は焚き火の用意と食料調達。川虫でアマゴ一匹釣り上げ串に。焼きがらしつくるほど起きていられる自信は無く、かつ調味料全て忘れたので、串焼き用のみ。

焚き火で湯を沸かし、アマゴは串焼き、服を乾かし夕ご飯。日が落ちるまでのゆるゆる時間を過ごし、寝たのは8時頃。

重かったけど、広々Wウォールテントは虫の侵入なく快適そのもの。荷物を広げたまま寝落ちのように寝ていた。

薄明るい4時に目が覚めた。寝る時起きる時沢の音があるのは心地よい。ここのところ、家でもなかった超快眠。敷いたシダの効果は抜群でした。朝食、火おこし、歯磨き、干してた服の取り込み、パッキングを普段の倍時間かけて行い、焚き火と寝床の痕跡抹消し、6時に出発。

昨日の延長戦みたいな綺麗な沢がしばらく、しばらく、しばらく続いた。流石に飽きてきたがエスケープもなく、歩きに集中してカモシカの足跡とともに三周ヶ岳目指して進む。両岸の森林がただ美しい。昨日からずっと共に行動していた木の杖片手に、アブにたかられながら、てくてくザブザブ。

地形図に毛虫マークが現れる頃から小滝が出現し始め、ロープはいらないものの落ちたらずぶ濡れな箇所をクリアしていく。

滝壺や少し深いとのころには尺サイズのアマゴが見え隠れしていたが、まだ先は長かったのでスルー。魚種がイワナになる頃は水も冷たく源流の様相に。時間の目処がついたので、あたりにいる虫をひっ捕まえて休憩兼釣り。すぐ釣れる。申し訳ないくらい。

泳ぎたい衝動を抑えつつ、標高950付近の詰めの沢に侵入。

そこまではよかったのだが、背丈ほどの崖を登った先でルートミスに気づく。支点が取れないままそこを降るよりは、目的としていた登山道に合流できる県境尾根を目指すことに変更。再び遡上、というかキッツイ斜面から壁登り。

ようやく着いた県境尾根は写真の通り。

尾根なら草木は少し禿げてて、せめて獣道くらいあるだろうと思っていたが甘かった。

薮。ひたすら薮。沢でぶつけた左脛に小枝がビシッと当たると軽く悶絶。沢用スパッツを左だけ履き邁進。鬼軍曹の、怯むな突っ込め!という言葉がたびたび登場するような藪であった。

最後に標高差150mの薮を抜け、涼しい風吹く三周ヶ岳登山道に。地形図ではここから下りのみ。

360度山。奥美濃の山深さを感じる場所だった。

1時間ほど歩いて見えてきたのは、昨日スタートした夜叉ヶ池。

池の写真を撮りに1人登ってきていた。

14:00着。テラス様の箇所で最後の休憩。

食糧を食べきり水を飲み14:10下山開始。

途中カモシカに遭遇。鹿のように逃げず、こちらをじっと見つめてくる。そういえば牛の仲間だったらしい、

迷惑そうなので早く離れる。

15:00駐車場着。

横の川に全身をつけクールダウンし、今回の沢旅終了。25km位は歩いたであろう、歩きの沢でした。ソロだともう来ないかも綺麗で魚だらけでも、ちょっと単調。

西鎌尾根での出来事

TJARの宿題で、北アルプスを縦走してきた。

馬場島から新島々まで。

自分に足りないものが強くわかった。2日目以降、疲れやすい。登りも下りも。

伸び代、これからの課題と捉えることもできる。重たい荷物背負って山道歩きまくるしかない。あと筋トレ。が、それに取り組むモチベーションは未だ不明。

いつもの山と感覚が異なったのだ。

今回驚いたことに、特に2日目から、山が嫌いになりそうになった。冷たい霧風がずっと吹く中、疲労はもちろん眺めもなく、ただただしんどい時間が過ぎていた。

そんな時に出てきた思い。

TJARに向けた山は、僕にしたら楽しくないことなのでは?という疑問である。初めは疲れのせいにしていたが、どうも怪しい。何度も出てくる。

これまでの同様の山行は、まだ見た事ない景色や体験に、ワクワクが勝って前向きに捉えられていたが、こうたびたび思わされると、疑念が強くなってきた。

何でTJAR目指したんだろう?ほんとにほんとにゴールしたいのか?出たいと言っているだけ?進路を決める時と同じ状態?大切な人の代用?ほんとにしたいのは何?好きなのは何?山?沢?

気づいたら、生きている感覚が得られず、力の入らない足と上がらないスピード、歩くことに集中できない自分も嫌いになりかけていた。

それでも、進まないことにはどうしようもないので、歳のせいにして歩いていた。普段なら足を止め味わうように眺める景色も、写真に収める花々も、目にしてるけど留まらず。留まれず。メンタル良くない感じ。

目的地は槍平→双六→三脵と下方修正しつつ、水浸しの小川みたいな巻道を越え、なんとか三俣山荘のテン場に着き、寝たら変わるかもと早めの就寝とした。生活動作は澱まず行えるがテンション少し低め。

寒さで早く目が覚めた。3時間位寝ていた。

外を見ると天の川。再就寝。

0時起床し1時出発。ささっと撤収し小屋へ。水を補給しテン場を後に高度を上げて西鎌尾根に向かう。

途中、神戸から来ている同じく大会目指す方と同行も、西鎌にとりつく頃は離ればなれに。疲れが抜けておらず足が上がらない。2年前とはえらい違い。また昨日の嫌な感じが出てきた。

目の前には明けていく槍が見えている。絶景なはずなのに絶不調。この段階でこの調子なら本番は…。

でも行くしかない。呼吸に意識を向けながら一歩一歩。一般登山者よりは早く進んでいるけど、比べるところはそこではない。

飛び降りたら楽になるやろなあ。

やっぱり山嫌いかも。

とネガティブ全開であった。が、すっかり明けてきた頃振り返ってみた景色にやられた。

やっぱり美しくって震えた。この景色と同じような人に報告したくなった。やっぱり山が好きって思えた。すると脚が軽くなった。ちょうどこの辺りから西鎌は急登になるのだが進める気がした。

その日は槍から上高地を走り抜け、山賊弁当を食べ、川でアイシングのんてしながら新島々までたどり着き、松本で一泊して帰路についた。

まいど上市からのタクシーは高く痛い出費である。沢渡から先のトンネルが最恐であったのは、本戦に使えないものの新たな発見であった。

キャンプの組み立て方

キャンプとは、野外で寝食を行うことである。至ってシンプルなことである。

無駄にキャンプサイトを占領したり、贅沢品をみせびらかすことではない。

そして、野外で過ごす上で、サバイバル環境下の過ごし方は大変参考になる。

サバイバルで大切なのは、水と火とシェルターである。

おかれている自然環境によって、それぞれの優先順位は異なってくる。

暑熱環境では水とシェルター、冷寒環境では火とシェルターが優先される。

キャンプをする際には、この3要素を意識して道具を揃えると過不足なく過ごすことができる。

例えば夏にキャンプをするなら、まず綺麗な水が大切になる。水道なのか、湧水なのか、購入して持っていくのか、それをどうやって運び保管するのか、冷たいままで置くにはクーラーボックスがいるのか、沢につけておけるのか、湧水や沢水なら浄水器が必要だろうし、沢水を使うなら、河川環境を先に調べておく必要もある。

シェルターでは、考えることとして、陽を遮る素材であるか、風通しの良い場所であるか、防虫はできるのか、突然の雨に備えられるか、雨が降った時の水の流れは問題ないかということが挙げられる。さらには固定をどうするか、ペグが利くのか、立木や石を使うのか、ペグの素材は何がいいのかといった具合に考えを広げていく。

そこを飛ばして、流行りだからとか勧められたからとかいう理由で道具を揃えると、薄利多売で売る側としてはいいカモである。

などとどうでもいいことを考えていた。

大山 雲中

大山に登りたいと言う同級の友人と

本格梅雨入り前に大山へ行ってきた。

標準タイムの1.5倍想定で予定を立て風呂とご飯とお土産買うところも絞っておいた。

大山は麓に色々あるから助かる。モンベル様々。

朝3時集合。片道3時間。往復6時間。

大きく遅れることなく順調に運び、風呂も地魚も湧水もお土産も堪能して帰路へ。日のあるうちに帰宅。

軽傷とはいえ、尻餅ついた際に肘に擦り傷、打撲作ってたから、何回も休んだがもう少し休憩挟んだ方がよかったかもしれない。下りの負荷が応えたようだ。

で、山はずっと霧の中にあり、山頂のみ晴れて青空が見え、日本海や氷ノ山は見えなかったので、そこはなんともし難いところ。人と登るとそれはそれで、山について今まで見えなかったところが見えて学びになる。

珍しくモンベルには寄らなかった。

同じ歳の人と行く山は気兼ねしなくて楽である。

慰霊登山

石鎚山に行ってきた。

出発の金曜夜は興奮やら気になることでほとんど眠れず、徹夜のドライブ。

愛媛に住む山友と、朝の4時に石鎚山SAで待ち合わせて、朝ごはんを食べながら登山口へ。

瀬戸内の夜明け。友は遅れてやってきた。

国道494は使わず、久万高原回り。

天気は晴れ予報。薄曇りだけど晴れるんじゃないかと期待して、沢沿いの遊歩道を歩きはじめた。

多分冬のその日も、友達は1人でここを歩いていたはず。沢の岩の水の、荒々しさや冷たさを感じながら。雪やそこからの景色に期待しながら。

今回同行する友は、7年くらい前に会った愛媛の人。亡くなった友達を紹介してくれた人。

ゆっくりゆっくり、山の空気やそこにあるものをなるべく見て聞いて触って嗅ぐように進んだ。

山頂にガスがかかってきたけど、嫌な雲は無かった。

愛大小屋を過ぎ、山頂を右に見ながら進みかけた時、霧に囲まれ小雨が降りはじめた。左手に夕飯に食べようと思って採ったウドを握り締め、進むか戻るか考えた。

憧れのウド。結局宿で炒めて食べた。

天気予報は晴れから雨に変わっていた。梅雨前線が予報よりも北に押し上げられたみたいだった。

山頂まではもちそうな天気。選択肢はピストンで愛大小屋泊、翌朝早めに下山。もしくは今から下山。もしくは山頂行かずに小屋に戻り、泊のち明朝下山。

天気詳細によると夜から早朝にかけて時間20mmの雨と強い風。

3分検討のち、すぐ下山とした。大雨の中今日登ってきた道を引き返すのは、友の疲労など考えると危ない。下山が妥当と判断した。

そうと決まればすぐに下山。

残念だからお試し就寝

デポしていた小屋に戻った。補給を摂り荷物をまとめた。お供えに持ってきた日本酒を撒き、再会を宣言。

下山後はどこか宿をとりのんびり作戦に変更。もし明日晴れてたら土小屋から山頂に行こうと決め、検索した宿に電話。

今夜の寝床確保。

冬に訪れたいストーブのある小屋

下りは長かった。下るだけなのに。

友だちの膝はけたけたと笑っていた。

何度か休みを挟みながら鳥居をくぐって下山。

車に着いたらすぐに宿に遅れることを伝えた。

亡くなった友人にもっかいおいで、冬においで、と言われた気がした。