TJARなど長期山行において重要なこと

食う寝る出すがうまくいけば、その山行はうまくいったと言える。

みたいな事を誰かの本で読んだことがある。

まさにこれ。

特に私にとっては出すこと。生活リズムが乱れるので排泄リズムも乱れがち。うまくいけば足取りも軽くなる。

そこで、対策にビオフェルミンなどの乳酸菌整腸剤は有効だと思う。

実際2024年のTJARでは開始3日前くらいからレースの前半、ビオフェルミンを定期内服していた。お陰で要所要所で用足しができ、外でお尻を出すことも、携帯トイレの世話になることもなかった。速くない自分としては、遅くなる要因を減らすことも大事だったなと改めて思う。

TJAR2024 完走記 その5

着地の衝撃に怯みましたが、歩行速度を最低4km/hとし、睡眠を取らなければゴールできると考え歩き通すことに決めました。ここで速度管理のためアナログ時計からスマートウォッチに変更。暗くなる舗装路をストックも使用し歩きます。左脚は巻きつけるテーピングのために体液の循環が滞り、浮腫が強くなっていました。

臨時駐車場までやってきました。

登山指導センターでトイレを済ませ、軒下を借り足のケアと補給。

お酒を飲んでおられたセンタースタッフに、「この先の白樺荘は夜でもカップ麺が買えるかもしれない」と伺い期待を膨らませま再スタート。

畑薙のダム付近で、たびたび登場してくれる静岡の友人応援。こんな山奥まで来てくれたことに感激。「次はゴールで!」と応援に力をもらいます。白樺荘前で人工の灯りに安堵。ちなみにカップ麺は買えませんでした。

畑薙第二ダムから大井川沿の道は街灯が少なく、単調で暇。車で通過するようなところです。時々ヘッドランプに照らされるアスファルトに漢字のような物が見えましたが気のせいにして、これまでに進んできた道のりを思い出し、この一歩がゴールに近づ一歩なんだとたびたび自分に言い聞かせます。時々ガードレール支柱とともに現れる静岡までの残り距離に「まだ70kmもあるんかい!」とツッコミを入れ眠気を吹き飛ばします。ひたすら暇です。

関門の井川オートキャンプ場まで数キロのところで久しぶりの自販機。アイスコーヒーで目を覚まします。キャンプ場到着は23時頃でした。無事関門クリアです。大会スタッフ、家族、友人達から沢山応援をいただき、素直に嬉しかったです。ここで右脚も痛み始めていたため両脚ともテーピング。左脚は見る人皆に「うわっ!」と驚かれるボンレスハムの状態。20分ほどの滞在で、飲料補給し再出発。

 応援に勢いづいて出たものの、また真っ暗で単調な舗装路。漢字に加えて道路のシミが人の顔に見え始めました。無視できない数です。ついに来ました!念願の幻覚です。瞬きしても消えません。本物です。そして体験したことのない眠気。片目を瞑り歩いてみたり、立って寝てみたり、こういう時にしかできないことを試しますが、ついには車に轢かれないよう道路脇で寝ることにしました。空には星、乾いたアスファルトが誘ってきます。腕時計のタイマーを15分に設定し臥床。すると、車が一台追い抜いて行きその数分後近くに人の気配。むくりと起き上がると、路上停止したGPSを見て確認にこられた大会スタッフでした。行き倒れ姿を撮られることは回避できましたが、5分しか眠れませんでした。しかたなく幻覚を連れてスタート。しばらくすると人家が見えてきました。井川集落です。

 井川ビジターセンター近くでヘッドランプを点けて蛇行する小島選手を発見しました。軒下で仮眠していたそうです。しばらく話しながら進むことにしました。話していると眠気が和らぎます。とはいえ疲労困憊の真夜中の単調な道。2人とも川のせせらぎがラジオに聞こえ「ラジオ聞こえますね〜」「そうですね~」と怪しい会話。しまいには樹々の隙間も人の顔に見え、共に道路脇で行き倒れ仮眠。やんちゃな暴走バイクや、椹島へ向かう観光バスに気が抜けません。まさにふらふら。ダム周回路は迂回が大きく時間ばかりが過ぎていきます。ふと気づけば排尿がしばらくなく、脚のむくみが悪化してきていました。

 と、ヘッドランプを点け暗闇の中道路脇に座る人の姿。近づくと塹壕足に苦しむ保谷選手でした。荒川小屋以来の再会です。彼は行き倒れていたら、暴走バイク集団に「やべっ」「死んでるんじゃね?」と指さされていたそうです。脚が合いそうだったので、一緒に進むことにしました。合言葉は、「この先のカフェCassoで朝ごはん!」です。色んなことを話しました。レースに出た理由とか仕事とか家族のこととか。レースなので競合者になるのですが、仲間のような気持ちです。

夜が明け、富士見峠で一休み。ここでも友人の応援をもらいパワーアップ。あとは下り基調と気が少し楽になります。しかし走るの辛く早歩き。足裏には灼熱感。休みのたびに乾かします。たどり着いたCasso横沢は開店時間前でしたが選手対応の案内がありお世話に。

 朝の7時にオムハヤシ大盛、ミルクシェイクとパン1つを食べ、道中用にさらにパンを2つ購入。生き返りました。

 強烈な暑さを予想させる強い日差しにせかされて再出発。用水路の水に帽子や服を浸して体を冷やしながら進みました。茶畑の濃ゆい緑色が印象に残っています。暑さには自信がありましたが、この日も静岡は暑く、道路には陽炎が立ち、太陽が真上に来る頃には日陰を作るものが全くない国道沿いに打ちのめされました。何度大井川に飛び込もうと思ったことか。静岡の電光掲示板も“不要の外出禁止”と表示していました。ぼんやりしていたのか自販機で買ったお茶が痛恨のホット。「心頭滅却すれば火もまた涼し」と唱えながら飲みますが意味なし。あの茶の熱さは忘れられません。途中見つけた釣具屋で売られるかき氷は格別でした。静岡は暑い、としっかりと体に刻み込まれました。あまりに浮腫むので脚を縛っていたテーピングをはがすと、肉離れの痛みは治まっていましたが、名刺1枚分くらいの皮膚が一緒にさよならしたため、傷に汗が沁み辛かったです。その痛みは眠気覚ましに換え進みました。体表近くのリンパが腫れ透明の液体が滲みだしていました。ここまでくれば何でもどんと来いです。

 しんどいばかりでなく、貴重な体験もできました。痛いとか暑いとか、しんどいとか脚太いとか、そんなことを思っていると本当に歩みが遅くなり、どうにかすると止まりそうになります。そんな時に応援の声が自分の推進力になっていると実感することができました。不思議な感覚です。今ここを歩けていることや、近くでも、遠くでも応援してくれる人、山を整備してくれる人に感謝する気持ちが自然と湧いてきました。体はしんどいはずなのに、とても充実した濃ゆい時間を送っている感覚がありました。カーブミラーで映るひげ面の自分の目がすっきりとしていました。

賎機の消防署前では、業務の都合上欠場された望月選手と握手し、私の脚に「だいぶ仕上がってるな!」とお褒めの言葉をいただき、レースの最終小目的を達成。後はゴールまでひたすら歩くのみです。コンビニで凍ったドリンクとパックアイスを買い体を冷やします。市内に入ると応援の数がものすごく増え、一生分くらいの励ましをもらいました。ここでともに進んできた小島選手と保谷選手と別々に進み、レースを振り返りながら自分のペースで歩くことにしました。

 繁華街に入り、静岡駅が近づいてきました。静岡駅構内がチェックポイント。地下に降りる階段が予想外の難所でした。肉離れ箇所を叩くような痛み。そしてひげ面、汗まみれて薄汚れ、匂い立つ姿で、きらきらした都会の駅を通り抜ける罰ゲーム感。逃げるように通過しました。とロータリーで熊ノ平小屋で別れた選手に遭遇。リタイア後無事下山されており、握手で最後の一押しをもらいました。

 あと5km。これまでの距離と比べるとたった5kmですが難しい区間でした。山で迷わず街で迷うという恰好悪いことにならないよう何度も紙地図を広げます。おかげでゴール後のインタビューで何を言うか考える余裕がなくなりました。暑すぎて脱アルコールビールを買って飲みながら進んでいると、すぐに脚が太くなることに気が付きました。どうやら腎臓がやられたようです。どうりで汗もおしっこも出ないわけだと納得。同時にゴール後入院、緊急透析、上司が渋い顔をするという予想図が出来上がりました。

 そしてゴールまで2km。レースを目指すきっかけとなった人に電話で報告。電話を切った後この人に認めてもらいたかったのかなとか、なんで出たんだっけなとか目指してきた6年間の出来事がいろいろと頭に浮かんでは消えていきました。

 海の匂いがしてきました。ゴール近くで近所の人がくれるコースアドバイスは様々で、迷いそうになるため(そもそもアドバイスを受けることが失格要件)自分の調べた道を進みます。やがて防波堤が近づいてきました。この防波堤を越えた瞬間の風景を見たいと、あきらめそうになった時何度も強く強く念じてきた瞬間です。ゴール横断幕が見ました。「やったーー!」と叫び砂浜に向かって階段を下ります。涙が溢れてきました(これを打っているときも涙が出そうになりました)。砂浜を駆け出します。脚は痛くありませんでした。

 7日と18時間13分。丹波から家族や友達が駆けつけてくれていました。静岡の友達も大阪の友達も。

ゴール後すぐに、小島選手と保谷選手もゴール。少ない言葉と強い握手。最濃の夏休みが終わりました。

レース後はインタビューを受け(様子はYouTubeをご覧ください)、家族フルサポートで帰路へ。直後のアイシングと車中睡眠が効いたのか道中尿意が復活し、緊急入院は回避。筋肉痛は無く、翌々日には無事出勤することができました。腫れた脚は1週間ほどで回復。2週間はものすごい食欲と眠気。ジョグ再開は3週間後からでした。脇腹の脂肪がなくなっていました。

少し自分に自信をもつことができるようになりました。

tjar2024 完走記録 その3

レース3日目、8月13日。同じ場所で寝ていた2名の選手(保谷選手と田中選手)に少し遅れ5時ごろにスタート。天気予報は晴れ。目指すのは60㎞先の中央アルプス木曽駒ヶ岳コガラ登山口です。この日は道中に選手のオアシスと名高いスーパーマーケットまるとのほか、自販機やコンビニもあり、食欲を推進力に進むことができました。

 グレンパークさわんどから奈川渡ダムの区間にも側道の狭い(ほんと狭い)トンネルがありましたが、早朝の上り車線は空いており、ジョギングで通過。過去一番早い通過に拍子抜けしたほどです。ダム駐車場で補給し、まだ日の低い時間に淡々と一定のペースで木曽に向け野麦街道を進みました。時々道行く方や地元の方に応援をいただきました。奈川渡ダムから10km先にあった桝屋商店では境峠前の長めの自販機休憩を取りました。お店の方からスイカを勧めてもらいましたが、ルール違反となるため我慢です。日が昇り暑さが増してきました。境峠9時50分通過。そこから藪原駅まで下り基調です。しばらく道路脇に生えている野いちごを摘みながら距離を忘れて歩きました。山菜やキノコを採りながら歩くと、いつの間にか山深く入り込んでしまうあの現象の応用です。ただひたすら暑く、日陰を求めて小走りから早歩きで黙々と進みました。道路脇に流れる水で帽子や服を浸し体を冷やすこと度々、選手OBの応援もありなんとかスーパーマーケットまるとに到着しました。ここは店長さんのご厚意で選手用の休憩スペースやアイシング用の氷バケツが用意してあります。冷房の効いた店内に飛び込むとそこはまさにオアシス。冷やしきしめんにシーチキン、揚げ餅、メロンに脱アルコールビール(アミノ酸たっぷりで疲労時に好適)を購入。追加で塩分補給用の味噌も。ともに進んできた選手とランチタイムです。雑誌の取材を受けたり、脚だけでなく頭も冷やしながら居心地が良すぎて90分も滞在してしまいました。

 そしてまた炎天のもとへ。道路の電光掲示板には危険な暑さ、不要な外出は中止と表示されていました。チェックポイントである藪原駅を過ぎ、木曽路を南下します。途中のコンビニ一軒目でアイスを、二軒目ではスイーツやおにぎり、パン、この後命を救うミニカップ麺を購入。別荘地帯と抜けコガラ登山口手前のきらきらキャンㇷ゚場でお風呂に入り(汚い選手3人が集う脱衣所の様子は想像にお任せします)、シェルターを張って食事を済ませすぐに休みました。短めの3時間で起床。先の檜尾岳キャンプ場で追加仮眠予定とし、先に進んでいた選手を追うように真っ暗な福島Bコースを登り始めました。クマが怖いので奇声を上げ進みました。8合目水場で選手に追いついたときに雨が降り始めレインウェアを装着。玉乃窪山荘到着は14日の夜2時ごろでした。そこから先は風を遮るものがないためインナーとレインウエアを追加し、防寒手袋に交換。頂上木曽小屋からは雨に加えて霧が濃くなり、頂上を超えた辺りから体の冷えを感じ始めました。近くにいた選手も離れ、視界が悪い中わずかな遠くの明かりと地図を頼りに宝剣小屋に向かいました。徐々に体が冷えてきていました。有人チェックポイントである宝剣小屋に着いたのは2時50分。体が震えており低体温によるリタイアが頭をよぎります。スタッフの「TJARぽくなってきた(笑)」のコメントに、そういうレースだったなと思い直し、小屋の長期滞在は失格となるため、すっかり嵐の様相になっていた外に飛び出し、ビバーク態勢に入りました。体の震えが強くなる中過去最速でシェルターを張って中に飛び込みました。必死だったので気づきませんでしたが、この様子を動画に撮られていたことは後に動画が公開されて知りました。YouTubeでご覧ください。シェルター内では濡れた衣服を乾いたものに換え、持っていたすべてを着込み、ブドウ糖と水、さらに糖質を摂取、シュラフカバーにくるまって眠りました。

 寒さで目が覚めると辺りは少し明るくなっていました。雨と風は止み、小屋泊から起きてこられた方の笑い声が響き、換気口から見る外には半袖で歩いている人が見えました。シェルターの薄い布地の内と外は別世界。思わず笑ってしまいました。震える体で湯を沸かし、麓で買ったカップ麺をこんなにうまいものはあったのか!という感動とともにいただきました。しばらくすると震えは収まり、泊まったのがキャンプ場でなかったためにきまりも悪く、麓で天候判断をし、仮眠ではなくしっかり休んでいれば陥らなかった事態に反省しつつ、そそくさとシェルターを畳んで出発しました。島田娘まで来ると気持ちは落ち着き、寝不足ながらも太陽の温かさに癒され、濡れた服を乾かしながら先に進むことができました。低体温から回復した体に寝不足が加わり、中央アルプス全般疲労感の多い縦走となりました。あまり景色は覚えていません。木曽殿小屋で水を買い、酷暑の中濡れたものを完全に乾かし、空木岳着は12時ごろ。駒石で10分の仮眠。小地獄の辺りで眠気と疲労と空腹の三重苦でレースを辞めたくなりましたが、その先にある駒ケ根での食事を思い浮かべて乗り越え、補給を摂ってしっかりと休み下山したのが16時30分でした。

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ここで友人の応援を受け気持ちが回復。駆け足ですき家駒ケ根店に向かいました。試走時から決めていたメニューを注文し充電満タン。そこから先は南アルプスを越えるまで買い物できる店がないため最後のコンビニで二日分のご褒美和菓子を購入。この日駒ケ根付近は花火祭りだったので花火が見られるかなと同行の選手と話しながら先を急ぎます。と、ここにきて道路が川になるような大雨に。土砂降りの道を、ヘッドランプを灯し、花火を背に分杭峠方面に。その選手の様子をこれまたレーススタッフが興奮気味に写真に収めていたそうです。 時々すれ違う人が、傘も差さずに進む私たちの姿を怪しんで見ていました。天竜川を越えると人は減り雨脚も弱まってきました。徐々に暗くなる県道49号線を東へ。徐々に同行していた選手も離れ離れになり一人の時間となりました。

 ただひたすらヘッドランプが照らす道を見つめ一歩一歩進みます。幻覚か幻聴を期待していましたが外れ。そのうち雨が止み中沢峠に到着。北に向きを変え市野瀬チェックポイントに着いたのは23時35分頃でした。低体温、酷暑、土砂降りと振り幅の大きな一日が終わりました。ここ市野瀬はあらかじめ自分で送っておいた荷物を受け取り、不要なものは返送できる重要なチェックポイントです。休憩用のスペースが確保されており、水平で雨のかからない5つ星ホテルのような所です。湿った服を干し、乾いた服を着て自分で用意した柔らかいマットで寝ることができます。OS1を飲み、アミノ酸を摂取、体を拭き、マッサージや携帯やバッテリーの充電をしながら書いておいたTODOリストに従って過ごし、いびきがうるさいと噂の選手から離れてぐっすり4時間半も眠ることができました。起きたらささみ肉と温かい力うどんを食べ、補給食を追加。レインウエアとシェルターも台風に備えて(台風接近予報が出ていた)より頑丈なものに交換。足ケア後用意していた乾いた靴を履き、トイレを済ませ、5時半、仙丈ヶ岳へ出発しました。

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(レース中乳酸菌錠剤を摂取しており常に快便だったがこれは重要だと思う)TJARは南アルプスからが本番と言われています。長い地蔵尾根が始まりました。

tjar2024完走記録その2

8/11 深夜0時。魚津市ミラージュランドから馬場島までのロード29km。4時到着とし、息を上げないジョギングペースを心がけ近くを走る選手と会話をしながら進みました。深夜の路上で多くの応援をいただき、着いたのは3時20分。周囲の選手につられオーバーペースだったので、20分休みをとり早月尾根へ。◯合目のプレートに標高を確かめながら明るくなる急坂を登ります。早月小屋で水を買いヘルメットを装着。危うくスポーツ飲料を買って失格となるところでした。森林限界を超え立山方面からの硫黄の匂いを嗅ぎながら8時40分、山の日で賑わう剱岳山頂へ到着しました。その先のカニの横ばい辺りは渋滞で、休憩も兼ねゆっくり進むつもりでしたが休む暇が無いくらい多くの方に応援をいただき、剱山荘に10:25到着。すぐに足のケアを行い、他の登山者が飲むコーラを横目に食事と給水を済ませ剣澤へ。右膝に違和感があり気がかりです。別山への登りから振り返ると、明るい剱岳が背中を押しているようでした。チェックポイントである大汝を入念に通過し、一の越山荘に待つ友人夫妻のもとへ。応援に元気回復です。

そこからは完走最低ラインと言われているスゴ乗越小屋を目指し、人の減った縦走路を龍王、獅子と順調に進みました。越中沢岳では真っ赤な夕陽と雲海を見て「これはご褒美だね」と選手同士会話しながら進みました。ヘッドランプを装着し、スゴの前の嫌な上り下りをやり過ごし、濃い霧に包まれたテン場に着いたのは20時ごろでした。迷惑にならないよう息を潜めぎゅうぎゅうのテン場で小岩を枕にシェルターを張り、夕食を済ませ就寝。疲れていたのですぐに眠りに落ち4時間で起床し2日目を迎えました。綺麗になったスゴのトイレに感謝しながら北薬師へ。岩ゴロゴロの登りはあっさりと通過。睡眠とご飯の力は偉大です。静かで快適な稜線歩きが続きます。左の薬師見平や白んでくる山の端に心が躍り、右に折立から登ってくる人のランプを見つけてワクワクし、気づけば薬師も通過というところでした。チェックポイント通過漏れがないよう、薬師岳山頂碑にタッチ。朝日を見ようと登ってこられた方と朝の挨拶です。薬師峠キャンプ場では神戸から来られていたトレランチームの方にも応援をいただき、日差しを感じる6時頃太郎平小屋へ。足のケア、補給、日焼け止め塗りを済ませ、同じペースで進む岐阜県の保谷選手と先へ進みます。遠くには今日越える槍の穂先が見えていました。トレーニングで同じコースを通った時は、遠さにやられましたが今回は行けそうです。北ノ俣岳の雄大さや黒部源流の緑に歓声をあげ、途中キジ撃ち跡を踏んでしまうトラブルを乗り越え、黒部五郎のカールで体を冷やし、双六小屋に13:40到着。ここで長めの休憩としたところに、静岡から友人が応援に来てくれました。しっかり食べて続くは2日目のハイライト西鎌尾根です。幸い風は弱く空は薄曇りの好条件。脚の合った選手と声をかけ合い進みます。過去には辛すぎて山が嫌いになりかけた場所でしたが、共に進む選手の姿や出発前に貰っていた「楽しんでおいで」という言葉で自ら奮い立たせ、一歩一歩前に進むことだけを考え乗り越えました。日のあるうちに槍ヶ岳山荘に到着。大会スタッフによる体調確認を受け、足のケアを済ませて上高地で絶対にコーラを飲む!を目標とし先を急ぎます。ババ平に着く頃あたりは暗くテントの明かりに一安心。20時、横尾山荘到着。足元がよくなり、コーラ目指して脚のの合った選手と共に、さらにギアを上げ進みました。明神館では楽しみにしていた自販機が近づいてきましたが、どうも様子が変。なんと自販機は電源オフ!腰が抜けそうになるところを踏ん張り、通行止めの梓川左岸を迂回し、右岸ルートをスタコラ歩いて先を急ぎました。河童橋を渡り、小梨平チェックポイント通過後念願のコーラを飲みましたが、夜の上高地は肌寒く、思っていたほどの幸せ感は訪れませんでした。何も見えない観光地を進みます。この先にある釜トンネル帯は歩行不適区間であり、夜間通過が快適でした。西鎌尾根上から電話で露営許可を取っておいたグレンパークさわんどに到着したのは深夜。軒下、水平、トイレ有りとこれ以上ない場所で夜明け前まで眠ることにしました。足を乾かし歯を磨き、シュラフカバーに潜ればすぐに朝。4時間半の睡眠でかなり回復していました。朝ごはんを食べ足のケアをして3日目スタートです。いつの間にか右膝の違和感は消えていました。3日目の灼熱ロードが始まりました。続く。

TJARの報告会と慰労会

友人たちが開いてくれた慰労会。

あっという間の2時間半。

自分のゴールシーン動画を見て、確かに感動するんだけど、何か他人の出来事を見ているみたいで変な感じだった。だいぶん前の出来事のような感じでもあった。自分の中に、あの時と同じような感覚が湧き上がってくるかと身構えてたが、それは起きなかった。

なんでか?

目指したきっかけは確かに自分に自信がなくなり、そこからの脱却のためだったが、今日か昨日あたりから、結局心の拠り所を避難的にでも見つけなければいけなくなって、それを探すのが直接のきっかけだったんだなあって思うようになっている。要は安全基地探しであったのかと。

ということは、完走は見つけたかった心の拠り所にはならなかった、ということなのかもしれない。

居たいところはそこではなかったのだろう。

今でも強く覚えているのは、初めて行った沢の帰り道の出来事で、その時の空の色と、近くを歩く人とそこに居れる満ち足りた、自分の内と外の境目が曖昧になる感覚であり、他人事に思える今日の感覚ではなかった。

一夜明けて

TJAR2024。無事完走。

家族に用意してもらった氷バケツで足を冷やし乗せてもらって帰宅。

途中サービスエリア裏手の温泉施設でシャワーと傷の手当て。ナースの妹が綺麗に処置してくれた。その後の記憶なし。

家族様々。

四時頃に実家に着いてそこから昼前まで睡眠。

パンパンに浮腫んでいた脚は少し細くなり、尿も作られており一安心。

腎不全心配してたが受診見送り、届いたメッセージに返信し、また一眠り。

母にテルミーかけてもらってダラダラ一日過ごす。食べ物が目の前にあるとなんでも食べてしまう飢餓状態。

今はスイカとおにぎりたべながらこれを入力。

これからぼちぼち完走記録書いていきます。

地元で報告会もしてみようか。

抗菌薬💊

火曜日に右の脛を負傷。

小豆大のえぐれる怪我。油断してしまった。

流水で洗い、抗菌剤塗って絆創膏。

そのまま治ればいいのに、発赤、腫脹、熱感と感染兆候。

抗菌薬貰って昨夜から内服スタート。

頼むぜ薬と自己免疫。肝腎に負担かかるから飲みたくなかったんやけど仕方ない。

これも含めて楽しむ。

まずはスタート地点までドライブ。

本戦前の体調

2週間前の軽度熱痙攣を伴った暑熱順化トレーニング以降どうもすっきりしない。

胃に常に違和感。

最初は、冷たいもの飲みすぎたせいだとか、熱疲労が胃腸にきたんだとか思っていた。

けど、3日たっても回復しない。むしろ悪化。

まさか緊張していて胃にきたか、、。とうっすら考えながら平日が過ぎ、一向に良くならないので胃薬を貰ってみた。

薬効感あり!

これか胃炎か胃潰瘍、はたまた十二指腸潰瘍再発か、胃の辺りに圧痛もあるし、しかたない薬に頼るか、、と思っていた。

そんな中、階段を上がると息が詰まり、夕方ジョグをしたらペースが上げられないという、体験したことのある貧血症状みたいなものが出始め、今日は採血も受けてみた。

まさか、胃潰瘍から出血して貧血に?ベンは普通やけどなぁ。。鉄の注射で凌ぐか。。。

けど結果は貧血なし。

そして胃カメラ勧めますという結論。

となると、大会参加のプレッシャーによるストレスから、交感神経過剰優位になって、胃に来たか、、というのが今のところの考え。湧水飲んでまたピロリ?とも思った。

山の師匠には、そりゃ緊張や、と言われた。

どうやら私人並みにプレッシャー感じてるのかもしれない。普通の人である。

これも含めて楽しめる、そんな状態に持っていきたいところ。

娘にハムや臀部を踏んでもらったら脚もお腹も楽になったあたりに、何かヒントがありそうだ。

あと早く寝るのも大事zzz。

TJAR2024まであと4日。

asics トラブーコマックス2と3の違い。体験版。

同じサイズでも、生地はじょうぶそうだが、爪先あたりのきつさが3の方が強いという話。

長距離縦走にアルトラのオリンパスを二代使用した。幅広で指の圧迫がなくクッション性が高いのは満足だったが、斜面を横切る時中で足が遊ぶことが多い点が不満だった。もう少し締め付けたいと。そして靴の中ではけっこう高額。

そこで目をつけたのがasics。TJAR使用率が高まり気になっていたし、ジョギングシューズにasicsを履いていたのでサイズ感もわかりやすく、トラブーコマックスを買ってみたのが2年前。

トラブーコマックス2を履いて奈良や滋賀のトレイルを歩いた所、過不足なくコスパも良くて気に入っていた。

ソールが減ってきたので同シリーズの3を同じサイズで買った所、小指と親指に爪下血腫ができてしまった。

アッパーの生地が硬く丈夫になり、つま先保護も強化された印象だったが、そのためか同じサイズでも初めて足入れした時ややきつく感じていた。新しいせいだと思い、そのまま、まずは六甲縦走で使用。ここは問題なかった。

しかし、次に選考会で使用したところ爪が死んでしまった。

雨のせいかな?靴紐の閉め方のせいかな?と思い、今度は中央アルプス縦走に使用。自分で払ったものは悪く思いにくいのだろう。

確かに紐の調整をこまめにしたら爪先の当たりは改善されたものの小指の爪がまたやられた。

これはどうも気のせいではない。

ならばとサイズを上げて買おうとすると、売り切れ。

仕方がないし、他の靴を試着に行く時間も取れそうにないので、売れ残りを探し2がヨドバシカメラのサイトにあったので、アルプス帰りの電車を待つ駅で通販購入。

また荷物が届く。

ふと思った。アッパーが傷んで穴が開く頃には、ソールはすり減りクッション性も落ち、そもそも履けない靴になってやしないかと。ならば2でよくないだろうか。

取材について

知人を介して地元新聞から取材の依頼がありました。TJARについて。

けれども、プレッシャーを減らすためにお断りしました。

完走できたら受けさせていただこうと思っています。

今日も走ろうと思ってましたがあいにくの雨。

さてどうしようかな。

さてどこの水場でしょう?