TJARのナイフ

お土産にもらった宝物。目指してること覚えてて、買ってくれたことが嬉しい。

そして実用的。爪を切り忘れた時はハサミでチョキチョキ。軽量化の為に服のタグを切る時も。

暗いところで探し物する時にはライト。

山道具が届いた時の開封にナイフ。

メモにはペン。

いつかこのTJARの文字は擦れて消えてしまうかもしれないけど、ずっと宝物。夢に向かって力をくれる物。

ファストパッキングのベースウェィト

週末の山行前にパッキング。

重たい腰を上げてようやく全アイテムの重量測定をやってみた。

下の写真から消耗品を外したベースウェィトが5.0kg。ここにはあと携帯トイレとテールライトが加わる。

クッカーとバーナーを買い足したのでそこで100gは軽くなるとして、デュオマット使ってミニマリストパッドを外すか(汗と雨ベチャになるから背面マットはあんまり使いたくない)

TJARを念頭にさらに軽量化するなら

  • 予備ライトをぺツルのeライトにする(−34g)
  • 予備の固形燃料を外す(−14g)
  • 就寝着のタイツとアンダーシャツ外して、防寒着のベストを長袖にする(−25g)p
  • クロスオーバードームやめてストックシェルターにする(−324g)
  • シュラフのスパークSP2はエスケイプヴィヴィに(−300g)
  • スタッフバッグを軽量化する

などが考えられる。自分の体を軽くするのはもちろんのこと。なんせ大浜海岸遠いですからね。

試行錯誤がまだ続く。

OMM Classic32の使用感

ザック沼にハマりながら、私の身体とFPに向いているザックを探している。

先日、肩のパッド厚が気に入り購入したのがOMMクラシック32である。

少し前にリニューアルされた、古い名前の新しいザック。背負い心地はとても良い。同じ重さの荷物を詰めても、モンテイン トレイルブレイザーより肩の痛みがとても少ない。というか無い。

TJAR出場要件を満たすためのアルプス縦走計4泊で使ってみたが、背負い心地に全く問題がなかった。

大きなメッシュポケットは、手袋、ウインドシェル、レイン上下が放り込める。単体ヘルメットを入れても尚余裕がある。

ただ、いくつか欠点もある。

まず一つ目。ヒップベルトについて。

ザック連結部が写真のようになっており、テントペグで繋がれている。なんでも取り外せる上に、左右のポケットをくっつけてウエストバッグが作れるらしい。一見面白い仕組みなのだが、このペグ、歩いたり走ったりしているうちに抜けてくる。

おかげで定期的に抜けていないか手を後ろに回してチェックし、上から押し込む手間が必要になる。おかげで脚運びに長い時間集中できないのだ。

こうなると残りの連結部に負担がかかり、場合によっては縫合がほつれてくる可能性がある。

さらに、こちらは内容物の重さや左右バランスが関係するかもしれないのだが、肩紐の調整パーツの抵抗が緩く、特に左側が肩紐を締め上げても移動中に緩んできて、たびたび、よっこいしょと背負い直さなくてはならないのだ。

もう一つは、外ポケットのメッシュ生地が弱いこと。岩場で擦ると大体穴が開く。

私はナイロン糸で縫い直し使っている。

以上のことから、連結部のペグが抜けない工夫をするか、縫い合わせてしまうか改造が必要であり、

緩みやすい肩紐は、ミシンの針を何往復かさせ盛り上がりを作って緩みを阻止するか、松脂などで滑りを悪くするか考えなくてはなりません。

緩まない荷物の重さを見つけることが先決かもしれません。

軽く背負いやすく気に入ったので、しばらく試行錯誤で欠点をカバーしたいと思います。

TJAR2022

過去に医学部を目指していたことがあった。

初めは本気で目指していた。けど途中から勉強が分からなくなり苦手になって、それでもできない自分を認めたくなくて、その夢にしがみついていた。しがみつくふりをしていたのかもしれない。現実から目を背けていた。そうするしか生きていける方法が分からなかった。

医学部を目指している

という自分でいることで、またやれるかもしれない可能性を残していることを他人に示すことで自分を保っていたのかもしれない。

気づけば看護大学を卒業し、挫折しながら看護師として働き、後保健師として働き、家族ができ、いつのまにか40歳になっていた。

37歳の時、とても大切な人に巡り合い、そして失った。その人のおかげで受け入れてこれなかった自分のこれまでを認めることができ、それは生き返ったかのような感覚だった。けどその人と、その人との関係を失った。

そのショックから死にそうになる程苦しくなって、その苦しみは広がりいろんな人との関係を断ち、家族からも離れて一人の世界に入っていった。

そんな時にTJARの存在を知り、純粋にこれを走りきれる人になりたいと思った。出場しゴールする人をかっこいいと思った。

このレースが、結局何も成し遂げてこれなかった自分が、もう一度頑張ればなんとかできそうな範囲の最大限のところにありそうな目標に感じられた。

そして、失った人が決して来ないであろうTJARという世界に身を投じようと思った。

自分が本気でやって、失ったものからより遠いところで目標を達成することをやってみようと思った。

そう思ってから2年近くが過ぎた。

確かにより遠くへ自分の脚で行けるようになってきた。山で寝泊まりする経験も積めてきた。ただ、まだまだスピードや困難な状況の経験がなく、到達できない目標であることが明確なままである。

なのに、変な意地からボーカルトレーニングを始めてみたり、英語教室に通ってみたり、車通勤で基礎体力の維持をサボったり、どうも目標から遠ざかる行為ばかりしてしまっている気がしている。

今すべきは走力の向上であり、毎日身体のコンディションを整え、家族の役割をそれなりに果たしつつ、しっかり働いたうえで山にいる時間や機会を増やすための努力である。

なので一旦自分のすべきことを整理し、もう少しTJARに向けて時間を作り出すことをしてみようと思う。

まずは12月の発表会でボーカルトレーニングは休止する。

睡眠時間を確保し、集中して日中と勤務後のトレーニング、ケア時間を確保する。

この2点をまずはやってみようと思う。

TJARに出るためには、まだまだ出来ることが出来ていない。このままだと、20年前の医学部を目指していた自分の繰り返しになってしまう。

山と道 HLC関西が開催する [UL Hiking Event]に参加する

週末は雨乞岳、御在所岳あたりの鈴鹿山脈でテント泊を含むハイキングイベントに参加する。

ハイキングにULとくっ付いてあるが、これはウルトラライトの事である。超軽量である。

ウルトラライトに関心がものすごくあるわけではないが、限られた体力を有効に使いロングレースを攻略するためには、はたまた安全に長く、人の分まで面倒見られるように山に入るためには、無駄を省いて装備を軽くすることが必須となる。

ただし、軽さを優先しすぎると快適性が損なわれていくので、ただ軽くすればよいというものでもないようである。それと道具は軽いと丈夫でもなくなるし。

となると、雑誌やインターネットだけでなく、常日頃からウルトラライトを意識して山に入っている人と直接会って話して学んでみることが手っ取り早い。

またそんなことに関心のある人たちが集まりそうなこのイベントなら、共にTJARに向けたトレーニングや情報交換ができる人が見つかるかもしれないと期待が膨らんでいる。

明日は残業で遅くなりそうだから、今日パッキングをした。流石にパンパン。水場のないコースだし、雪は無さそうだし水は2.5l持つことにした。ご飯は全てフリーズドライ、昼ごはんを兼ねた補給はチョコとシリアルバーにした。あと少しパンを買い足すつもり。

詰め込みながら、UL的にいくならあとはシュラフ とマットの見直しが必要かなと思った。こいつら場所を取る。UL的にはもう2回り小さく同じ程度の保温力のあるシュラフ が出ている。マットは快適性優先させているのが、採点されたらあんまりいい点取れなさそうな大きなものになっている。

あ、あと、アルコールストーブにするかガス缶使うかで迷ったが、当日の天候が寒そうなのでテント内で調理するだろうから、溢れて引火しても気付きにくいとテントに穴が空いてしまうので、それは想像しただけでも恐ろしく、そんな理由からガス缶にしていた。

さてどんな方に出会えるのやら。週末が楽しみである。

TJAR中央アルプスコースを辿る

9月14日土曜日、これ以上ないくらい晴天の中長野県木祖村にある藪原駅を9時に出発し、まずは木曽駒ケ岳へ向かいました。出発地を藪原にしたのは、レース中のチェックポイントだからです。選手のオアシス、スーパーまるとが近くにあることも確認しておきました。

(駒ヶ根に駐車しておけば下山後の着替えを持たなくてよかったのですが、寝坊したので予定の電車に間に合わず、車は塩尻駅周辺に駐車しました。そのために、汗まみれの服で電車に乗るわけにはいかず、ザックを軽くしたいけど着替えもわざわざ持って行くことにしました)

国道19号を南下し、報告書でたびたび目にする2つのセブンイレブンを確認しながら、道の駅手前の交差点を左折して、駒ヶ岳別荘地の中の舗装路を登山口まで歩きました。ここは走り続けるには斜度がきつく、走れるくらいでないと参加できないのかなあとか、別荘欲しいなあなどと考えていました。

標高がすでに1000m位で気温が低く、初秋の風が吹く気持ちのよい道でした。集落内の水路に岩魚らしき魚がおり、環境の良さを感じました。近くの釣り堀から逃げたものかもしれません。

あちこち見ながら気を紛らわせ歩くこと70分。登山口に到着しました。

途中に水場があったようですがわからず、次の水場”力水”に期待し進むことにしました。

今日は早めにストックも出しています。ストックを出す時のイメージは、早月尾根に入る望月選手です。

ここからコースタイム60分の林道だったのですが、想像以上に斜度があり、脚がキツイと言っているのがよく分かりました。

普段からこんな序盤でキツさを感じる事はなく、扁桃が腫れてるから?寝不足?一昨日のジョグで疲れてる?と色んな理由を考えますがどれもしっくりきません。

原因わからぬまま、4.5号目の力水まで歩きました。

水は湧いており、備え付けのカップで1L補給しました。

水を入れたプラティパスから離れた体に冷気が伝わってくる程冷たい水で気分一新したところで、キツさの原因を考え杖をやめてみたところ、あら不思議。登りやすく、脚のキツさも減りました。歩き易さを目的にした杖が、却って足を引っ張っていたようです。

杖を使いこなせる筋力などが不足しているのかもしれません。鍛えます。

さて、この日歩いたのは、福島Bコースという長ーい道でした。そしてずーっと樹林帯。森林限界が来る頃はガスで景色ゼロ。

考えることも無くなり、途中生えている野生のブルーベリーを食べながらもくもくと登り続けました。

北アルプスを越えてきてこれかと思うと、選手の強さにただただ驚くばかりです。

チングルマの花が少し癒しを与えてくれます。

稜線に出たのは14:50頃。晴天が待ってくれていました。登山口から3:25かかりました。

木曽駒ケ岳は宝剣岳に気を取られて登る気力が湧かず、トラバース道でパスしました。沢山の人が来られており、人気のある山であることを感じました。(帰宅して報告書見ると、木曽駒ケ岳はチェックポイントでした(゚o゚;;)気をつけなきゃ)

チェックポイントである宝剣岳は通過必須なのですが、その前にもう一つ行きたい所がありました。

それは宝剣山荘です。宝剣山荘の食事が食べたかったのです。行動食ばかりでお腹が空いていました。

カレーの胃袋を用意して、扉を開けると壁のメニューにはカレーの文字が!しかしその下に食堂メニューは14時まで、と書かれていました。

受付のお兄さんは私の雰囲気を察したのか、帳面をつけながら、食事の提供は終わってますよーと一言。

仕方なく、パン2つにポリッピーとグレープジュースと水を買い、NHKの映像で見たことのある小屋の中をキョロキョロしながらパンをかじりました。

ここでもゆっくりし過ぎないようにして、カレーは14時までと強くインプットし、次なる宝剣岳へ向かいました。

が、その登りのしんどいこと。脚は進みますが力強さや軽やかさが足りません。始めの林道のダメージがまだ残っていました。

石田賢生選手の呼吸の話を思い出し、腹式呼吸をしながら登り切りました。

15:50 宝剣岳山頂です。

絶景の雲海を写真に収め、次の目的地、檜尾岳に向かう準備をしました。

今回の山旅には地形図を8枚用意しており、地図内の山域が終わるタイミングで新しい地図に更新していました。晴れて風の弱い日は入れ替えがしやすいのですが、雨や風の強い時どうするか、考えなくてはなりません。一枚ずつパックした方がいいのでしょうか。とりあえず風が強くなる山頂での更新は控えた方がよさそうです。

16:20 2018年近内選手の地図吹っ飛びシーンを思い出しながら宝剣岳を後にしました。

途中、雲海に沈む太陽に感動しながら休憩も兼ねて登りで写真を撮りました。

この感動を伝えたい人の名前が頭の中に浮かんできます。

途中風が冷たくなってきたのでウィンドシェルを着て、ジップを上げ下げしながら体温調節しながら進みました。

18:15 檜尾岳に着いたのは、日が沈み西の空が青紫色になる頃でした。

先に進むか、すでにテントが何張りか見えている、物の怪の噂のある東側の避難小屋前でビバークをするか、長めの休憩を取りながらしばらく考えました。

少し前に左足を捻っていましたが軽症です。

左アキレス腱に靴擦れが生じていましたが、そのままなら痛みも問題なさそうです。むしろ止まってケアした方が痛みそうです。

疲労度としてはゆっくりなら進めそうです。

冷えてきましたがレインウェアを着れば進めそうな気温と風です。

ふと、TJARの参加要件を思い出しました。標高2000m以上の所で4時間以上のビバーク泊10回以上の経験回数ってあったような、、、と。

進むために着込んだレインパンツはそのままに、避難小屋へ向かうことにしました。

月が登り始めていました。

避難小屋に小さな明かりと、その遠く向こうに月の光。15夜のお月さまです。

砂地の平たい場所にストックシェルターを建て湯を沸かし、α米とフリーズドライのカレーを作り、靴擦れのケアをし、ササっと諸事を済ませ20時就寝、0時起床の出発としました。

ダウンを着て寝ましたが、足先の寒さに途中目を覚ましました。足先対策を講じる必要を肌で感じます。

再出発は真夜中でした。

月が明るく、ゆっくりやるならその灯りで撤収作業ができそうでした。

しかし、忘れる物によってはレース続行不可となる場合もあると考え、遊びはやめてヘッデンで照らしながら、ゴミを残してないか、忘れ物がないか泊地を確認するところまでを丁寧にやりました。この癖付けは大切な事だと思っています。

月明かりの中歩く稜線は、遠くの沢の音とさらに遠くの飛行機の音、風の音、そして自分の足音のみの何とも言えない面白い場所でした。

寝ると回復することを実感しながら、それでもやっぱり熊沢岳や東川岳の登りは脚にこたえるなあとぼやきつつ、木曽殿小屋を目指します。

東川岳登りの前に、銀色のサバイバルブランケットに包まれた人型の様な物が登山道から外れた場所にあり、遭難者が夜を明かしてるんだろうか?と思い、遠くから迷惑かもしれないと思ったが「大丈夫ですか?」と大きな声で尋ねました。

「大丈夫です」とすぐに返答があったので通過するとことにしました。ビバークする所としては良い所に見えました。

2:00 木曽殿小屋に到着です。

すぐさま水補給のために真っ暗な小屋のテラスを抜け、空っぽの1Lプラティパスとストック二本を持ち義仲の水を汲みに行きました。

小さな岩を乗り越える時に膝を擦り、新品ゴアのレインパンツに穴が開いてしまったのが残念でしたが、同時に疲労で注意力が低下し散漫と歩いていることに、気を引き締め直すいい機会でした。

水汲みの後は、風裏でマットを敷いて20分ほど仮眠をし、ゴジラの背中のように浮かび上がる空木岳の稜線を登り始めました。

何かの情報で偽ピークがあると知っていたので、目の前のピークを、「あれは偽物、あれは嘘」と呟きながら、偽物と判明した時のショックを和らげようとしましたが、やっぱりショックでした。

思わず笑ってしまうピークの波状アタックを楽しみつつ

3:40 空木岳到着です。岩岩のシルエットがとてもかっこいい山でした。

ここから長い下りです。朝の7時に駒ヶ根スキー場着を目指しているので空木岳頂上は早めに通り過ぎます。

ここまでの反省として、景色のいい所で休む時間が長くなっていることを思っていました。

出発準備の人で賑わうヒュッテのテラスを通り抜け、駒石(たぶん)にタッチし、空木平避難小屋に後髪を引かれつつ、平地と下りは小走りに先を急ぎます。

そうしているうちに夜が明けてきました。

残念ながら樹林帯に入っていたため日の出は見られませんでしたが、木立の間を射す朝日に朝を迎えた嬉しさを感じられ、心ばかりスピードを上げて進みました。

6:05 迷い尾根到着です。地形図にショートカットルートを書き込んでいましたが、正規のルートを通ってしまいました。

カバンを下ろし補給を摂って長めの休憩としました。この時点で7時に駒ヶ根駅は諦め、8時に駒ヶ根スキー場に下方修正します。

ここからの下りは気持ちのよい小道だったように思います。

すでに何名かの登山者とすれ違っています

洗顔した水場

MTBで下ったら気持ちよさそう

登山口近くで12年TJAR完走者の阪田さんが登って来られるのを見かけました。有名な山には有名な方がいるんだなぁとすこしテンションがあがりました。

そしてアウトドアショップKにたどり着いたのは8:35でした。

さらっとアウトドアショップKと書きましたが、TJAR報告書で何回も目にしたODSKってここか!って嬉しくて、思わず写真を撮ってしまいました。

その後は近くの芝生で道具を乾燥させ、10時に開店したこまくさの湯で汗を流し、わざわざ持ってきた服に着替え、駒ヶ根駅に向かいました。

長い間悩みの種だった右膝の痛みが出なかったことが嬉しかったです。

バスを探しましたが、ここから駅までも下見だなと思い直し歩くことにしました。

これもまた報告書で書かれているだろうすき家やドラッグストアを横目にカフェで朝ごはんを食べ帰宅の途につきました。

こまくさの湯では、後で調べて分かったのですが偶然にもTJARキャンプ後の方が入浴されており、憧れのロゴがくっついたザックをいくつか見かけました。

駅に向かう道の途中では男澤さんもおられて、こんにちはと挨拶をすることができました。

再来年はキャンプに是非参加してみたいです。

行かない、行ってはダメだと思っていたアルプスですが、確実に行動圏内になってきています。10月は4連休を申請し、北か南を行こうと思ってます。

今回の旅をTJARに繋げられるよう今後も試行錯誤していきます。

(気をつけるところ)

地図にCPなど大切な情報は書き込む。

休憩をコンパクトに。

ストックの使い方に慣れる。

登りに使う筋肉の持久力強化。

足先の冷え対策。

足先トラブルの早めの対処。

TJARの参加要件を改めて読んで

これは読んでいるだけで書いている人の思いが伝わってくる。

参加する、申し込むために安直な実績を作ろうとする人がいたということなのだろうか。

出ることが目的でなく、自分の山の姿が結果として形となってTJARになる

そんな参加をしたいと思った。

たぶん

きっと

僕は冒険が好き。

冒険好きな人も好き。

見ているだけで満足できない。

東海自然歩道トレイルマラニックに参加してきました。

詳しくは後日に。

一番よかったのは、幻聴なのか声らしきものが後ろから聞こえることがあむて思い出すことはあるものの、しんどさや悪天候とイベントてんこ盛りで、苦しんだり悲しんだり悩んだりする時間がなかったこと。

気がついたのは、山が好きな人が好きなこと。

トレイルランナーのあと少しは、全然少しでは無いこと。

野宿は役に立つこと。

TJARはまだ遠い先のこと。

100mile完走トレーニングキャンプ@木島平に申し込んでみた

よく見るサイトにこんな案内が。。

その日は北アルプス縦走に行こうと思っていたけど、違う日にも行けるなあと予定変更して、

まずは160km完走できるようになりたいし、身近に練習環境ないし、ノウハウ共有する機会身近にないし

ならば求めて飛び込もう!

とキャンプへの参加を決めました。

キャンプといってもトレーニングキャンプです。

参加するからにはたくさん学んで帰ってこようと思います。

Black Diamond ディスタンスFLZ アルミだよが届い

ロングトレイル走破と、テント設営の為にストックが必要だった。

ストックなら、スノーシューに付属していたものでも十分だったのだが、ランニングに用いるために振り回しやすさや、コンパクト性能を求めると不足であった。そして、何より持っていてテンションが上がらないということもあった。これまでは、使用に伴う思い出がそのテンションを支えていたが、それがなくなった今、単純に商品としての魅力が重要であった。

そこで、候補に上がったのは、シナノのトレランポールと、Black diamondのストックだった。

過酷な使用環境を考慮すると、カーボンは心もとなく、固定長だとストックシェルターを張るには身長に合わない長さを持たざるを得なくなる。

そこで、Black diamondのアルミで身長に合ってなおかつストックシェルターにも合う商品にしようと思った。使っている人が近くにいたことも大きな要因である。

そこで今日届いたのがディスタンスFLZである。

これが一式。日本語表記のある説明書もついている。どうやらスノーバスケットは付かないらしい。

組み立てるとこんな具合。黒とアルミ色のシンプルな色合い。

長さは105〜125cm。ストックシェルターに最適な120cmをカバーしている。

重さは

2本で446g。軽い印象。

グリップを持って振り回すと、重さを杖先に感じ振り回しのしやすさはそこまではない。メーカーロゴのあたりを持つと振りやすい。

連結は謎の素材。

受け側のエッジで連結部が擦り切れないか気になるところ。

ストラップはメッシュ地使用で乾きやすそうである。

そしてこれがスライドロックなる機構部分。このプラスチックの塊をグリップ側に動かすと折りたたみが簡単にできる。手袋したままでも使いやすいようになっているらしいが、まさにそんな感じ。これは嬉しい部分。

折りたたむと36cm。A4用紙のサイズ斜めに乗せると大体同じ長さ。

さて使ってみた感想はまた後日に。