古道巡礼

散文です。

おもしろい本に出会えました。

ナイス、氷上図書館。

高桑信一さんによる古道巡礼。ヘンコぶりが伝わってくるけど、昔々の生活道をたどる旅はどれも魅力的である。

どれか一つでも、いつか歩いてみたい。まずは近くの道から。

古道復活は、維持を含めてやらないとダメだ、みたいなことが書いてあった。結構賛成。

僕は、道は作りたくて作るのは現代的な感覚のもので、本来は目的のために地形の弱いところを見つけて、必要に応じて人が通ることで出来上がっていくものだと思っている。何もないところから、人の足がなん度も踏むことでできるものだと。

そして目的を失った道はそのまま消えていくのが自然であり、たとえそこに手を加えるならば、維持させることをやらないと、とても不自然なことに感じる。

山を歩いていて、昔の人の痕跡を見つけると、なんだかその時は昔の人と気持ちが繋がったような気がして嬉しくなる。

本を読みながら、ただ、ただ、空気のように包み込んでくれた人と、当たり前のように漂うように山や川にありたいなぁと思った。

仕事中のONとOFF

今朝、看護部のお偉いさんが職場に来ていた。

朝のミーティングを終え、一旦解散となり、持ち場の準備をして戻ってきたら、まだその人がそこにいた。

そこで、今日の配置図を確認していたら、ほかの男性スタッフと一緒に、「ONとOFF」って偉いさんに言われた。何のことかと尋ねる前に更に、オンとオフが大事、仕事ではその切り替えをして頑張って!と言われた。

ここ最近忙しくて残業垂れ流して頑張ってるのに、オンとオフしっかり区別して仕事せえといわれた。昼休憩も全時間取れてないのにそう言われたのである。

思わず、ずっとオンです!と答えてしまった。

笑顔で、分かりましたーと答えた方がいいのだろうけど、どこ見て言ってるねん!という思いが邪魔をしてしまった。

見てもらうために頑張ってなんていないけど、相手をしっかり見てから忠告めいたものは伝えた方がいいなあと思いました。

オフをきちんと取らせてくれるな、ONの話が耳に入りやすいんだけどねー。

実は私不良品でした

ダメなものでも

好きなものは好き

あたまで分かってても一度反応してしまった身体はもう忘れられない。だって命を投げ出したんだもん。

好かれてなくても

笑顔がなくても

一線引かれても

無視されても

関心もってもらえなくなっても

僕は大好き。

あなたの全てが。嫌なところ含めて全部好き。

あなたがいないと、大切にしないといけないはずのものもただの苦痛になってしまう。

このどうしようもない僕には、どうしようもないあなたが、どうしても必要です。

死ぬことに触れて

訪問診療に、医師に同行する看護師役で行っている。

対象には終末期の方が多く、当たり前のことだが短期間のうちにみんなお亡くなりになる。

人が亡くなることは自然なことであり、普通のことだと思っているから、自分の行動や思考、その他に影響が出てくるとは思っていなかった。

けれども、やっぱり何かが残っていたみたいだ。死の瞬間に立ち会った訳でもなく、訪問看護や、さらには家族のように患者さんの近くに寄り添っていた訳でもないのだが、何かが心の中で起こっている気がする。

うまく言葉にならないけど、今まであったものが無くなる喪失感なのか、自分の死にどこかで結びつけて感じることがあるのだろうか。

確かにこの仕事をしていない場合よりは、人の死や生に近い場所にいる。

昨日まで話をしていた人が、今日は亡くなっているということが当たり前のようにある。

あまりに急すぎて、当たり前だと思っている人の死が、そのスピードの為に、当たり前と捉えられる能力を超えた現象になっているからなのだろうか。

よくわからないままのこの今を、安心して話せる人に聞いて欲しい。そして感じることを聞かせて欲しい。

そうしないと、よくわからないこれに飲み込まれてしまいそうな気がする。

村の中で遭難気分

今年に入ってから、会議と名のつくものがものすごく苦手になっている。

特に集落や自治体の会議。参加したくて参加する会議とは異なる会議。

座っていると段々と原因不明の不安なが出てきて、最後は苦しくて助けを求めたい気分になる。

終わるとぐったり。

多分もともと苦手なんだと思う。

けれども以前は余裕をもってこなせられていた。心に拠り所があって、なんならファシリテーターやりますよ、といえる余裕があった。

元気ないときに、そんなことお構い無しに人の意見がやってくる会議に参加することは本当辛いこと。

それが今夜もあります。孤立無援。

会議後だときっとできないだろう観てない映画のDVD返却と、荷物の発送して、その会議に行ってきます。

山になるということ

私のいう山になるとは

確かに歩いているんだけど

自分が動いているのか

周りが動いているのかぼんやりと

わからない感じになり

時間が止まった中でじっくりと

全ての色や音がはっきりと捉えられ

自分と周りの境界が無くなり

まるでそこに溶け込んだような感覚を

山や川で感じることです。

その瞬間はとても幸せで

そしてその幸せを共有できた時

できたと感じる時

本当に幸せなのです。

1人で雪の中テントで泊まっている時、黙々とただ雪原を歩いている時、

沢にいるとき、深い淵に漂うとき、滝に触れ、流れ落ちる水音に包まれたとき、、、

料理の心構え

心満ちて

相手の顔を思い浮かべて

心をこめて

料理をするとそう失敗しない

と思っている。

さっき出来上がった昼ごはんのスープは、自分でも驚くほど変な味になってしまった。

出すのが恥ずかしいくらい。

こんな事もできなくなっていたとは驚きです。

アーモーホンマ、タスケテー。