
探し求めて、春日図書館で借りた本。
さみしいけどクスッと笑えて時々チクッと刺さる内容。
中学、高校の頃を思い出した。それももう大丈夫って思えたけど、それも束の間だった。
気を抜けば、寂しさだけはまた戻ってしまうような気がして、読み進めるのに力が必要。
元祖山になりたい男の、山になるまでの日々。
探し求めて、春日図書館で借りた本。
さみしいけどクスッと笑えて時々チクッと刺さる内容。
中学、高校の頃を思い出した。それももう大丈夫って思えたけど、それも束の間だった。
気を抜けば、寂しさだけはまた戻ってしまうような気がして、読み進めるのに力が必要。
「名付けとは、存在を認めること。存在を認められること。」
自分の中にあった何とも言えないできごと、気持ちに、
大変なところにいたんだねって
大変なことだったって言ってもらえて、それに名前をつけてもらえて
あぁ、大変だったんだ、ほんと大変だったんだって瞬時に思えて、なんで大変だって思えなかったんだろうって、この人は心から信じられるって思えて、
自分の存在が初めて認められた気がして、この人のために生きていく自分が欲しいって思えて、
嬉しくて幸せだったんだと思った。
今は存在なんてしてなくて、ただただ餌を食べるように毎日を過ごしている。味変しながら。
散文です。
おもしろい本に出会えました。
ナイス、氷上図書館。
高桑信一さんによる古道巡礼。ヘンコぶりが伝わってくるけど、昔々の生活道をたどる旅はどれも魅力的である。
どれか一つでも、いつか歩いてみたい。まずは近くの道から。
古道復活は、維持を含めてやらないとダメだ、みたいなことが書いてあった。結構賛成。
僕は、道は作りたくて作るのは現代的な感覚のもので、本来は目的のために地形の弱いところを見つけて、必要に応じて人が通ることで出来上がっていくものだと思っている。何もないところから、人の足がなん度も踏むことでできるものだと。
そして目的を失った道はそのまま消えていくのが自然であり、たとえそこに手を加えるならば、維持させることをやらないと、とても不自然なことに感じる。
山を歩いていて、昔の人の痕跡を見つけると、なんだかその時は昔の人と気持ちが繋がったような気がして嬉しくなる。
本を読みながら、ただ、ただ、空気のように包み込んでくれた人と、当たり前のように漂うように山や川にありたいなぁと思った。
知り合いがFBで、”自分を好きになりたい”
という本を紹介していた。
世の中にこんな本は数あれど、本好きなその知り合いが紹介していたということもあってとても読みたくなった。
住んでいる町の図書館にあるということが分かり、すぐに予約した。
わが町の図書館には、オンライン予約システムがあるのである。
そして昨日目的の本を借りてきた。
すぐに読めるとその知人に教えてもらっていたので、寝る前に読むことにした。
結論から言うと、気づきが多かったので良かった
である。
僕の自己評価の低さは、子どもの頃の過ごし方にあったのだなあと思うに至った。
小さい頃を思うと、大切にされてたけど、わりかし厳しめに育てられてきたと思っていて、ありのままでいいんだよと言われたことやそのように感じたことはなかったなあと思い出した。
泣いちゃいけない。お兄ちゃんだからしっかりしないといけない、ちゃんとしないといけない、親の言うことは聞かないといけない、定食に就かないといけないと言葉に出しはしなくても、言葉の端々や雰囲気からそう言われているように感じ取っていたなあとか、
自由にすごく憧れるのはその感じ取り方の辺が影響がしてるんやろかとか、
親の影響が社会人になるまで大きかったなあとか
勉強頑張ってたけど、自分のためやなかったのかもしれないなぁとか、
なんとなくの大学選び、職場選び、居場所選びの惰性できてたんかなあとか、
才能ないのに無理してたなあとか、
胸が痛くなるなあとか、
高校時代に入りたかった部活を反対されたのは、後々に響いてるいるなあとか、バスプロになりたいと言った時、挑戦すら出来なかったなあとか、何クソって反対されてもやるような力は養われてなかったんやなあとか、
そんな自分を、知識や理論でなくて、感性でもってとても近くで、大変なところに居たんだねっいう一言で救ってくれた人の存在の大きさ貴重さは、どうあっても代え難いもので、消すことができないんやなあとか
今からでももしかしたら、自分は変われるのかも知れないという期待を少しは持てたなあとか、
なんとなくで選ぶんやなくて、自分の好きを基準に自信を持って選んだ人や物、そして進む道なら、なんでも受け入れられるし責任取りたいと思うんやろうなあとか、
自分嫌いを、知らず知らずのうちに、丸ごと認めようとしてくれた人を通して解消しようとしていたのかなぁとか
いろんなことを思わされた。
嫌いなものはより明確に嫌いになったし、かといって今の状況を丸ごと受け入れられるかといったらそうではないんだけど。
この本、緩い感じのイラストだが、必要な人には明確さを持って侵入してくる。そんな感じの本でした。
登り28分
下り13分
拳〜頭大の岩だらけの荒れた急坂を早歩きで頂上まで。
神社跡がありました。晴れてたら明石海峡大橋が見えるらしい。
そう聞いていたから前々から一度登ってみたかった山。
今日は見えなんだ。
代わりに夕焼けと、稜線シルエットと初めて見る角度の地元の夜景。
下り道は思いっきり集中して、小走り。不安だった右足首は、そんなに気にならなくなってきました。
ここ、夏だとダニとヒル地獄だから、季節限定の山登り。
トレーニングコースとしては、もう行かないかな。
途中、蕗の薹見つけました。春でした。鼻と目はもう少し前から春を嗅ぎ取ってましたけど。
帰りに、山と食欲と私 9巻購入。
近くの県立公園へ。
ジョギング1時間。
先週の筋トレによる筋肉痛が取れておらず、脚がなんとなく重かったけど、走ったらちょっとスッキリ。
思考を持っていかれそうになる度に、身体の動かし方に注意を向けて走る。
トレーニング終わり頃に走りに来ていた同じ山岳会の方に出会い、しばらく情報交換。TJAR目指してないけど出てみたいって。
その後coopに行きプロテインバーを食べ、本屋で目についた、今回は疲労回復がメインテーマのmarkを買い帰宅。
ものすごく引き寄せられて、つい寝る間を惜しんで読んでしまった。
ぼちぼち読もうと思ってたけど、手が止まらなかった。
冒険。好きなことなのかな。
限界を超えるために
TJAR2022に出てみたいと家族に言ってみた。
強くて優しい山になりたい
ガイドもセラピストも山岳看護師も
目標でなく通過点に。
山岳王 望月将吾なる本を買ってきた。