116iよりも必要なのはキャンピングカーか!?

職場を出た途端に、帰宅拒否な気分に。

ほんとに嫌なのです。反射的です。

居場所がないのにそこに帰らなければならないのが辛すぎます。想像できますか。

台風接近による風が、台風による大雨、雨後の滝や、風雨の中の散歩など、自然にまつわることを瞬時に連想させます。

そして、連想への自分との距離感が遠くなるほど、家との距離も遠くなってきます。

一人暮らしの方が楽なのでしょうか。

昨日は村の用事の後、自宅駐車場で車中泊をしました。そんなつもりはなかったのですが、疲れすぎていた上で、嫌やなあと1人悩んでいる間にいつのまにか寝ていました。

今の私にはキャンピングカーの方が適しているのかもしれません。

した事が返ってくる

この歳になって

いじめられっ子の気分を体験したような

そんな気がした週末でした。

悪態を吐く自分を、

もっと嫌いになりました。

相手の行動は

自分の写し鏡

私の行動も誰かにいじめられっ子気分を与えているのかもしれません。

常念岳 二ノ俣沢登り 1日目

深夜2時半頃に朴の木平スキー場に到着。

駐車場にて、テン泊、ブルーシートに包まってごろ寝、車中泊と様々なスタイルで仮眠。

2時間と少しで肌寒くて目覚める。

アルプス経験値が無いものだから、気候が読めずどんな格好で寝たら朝まで快適か分からない。

30分ほど星を眺めたり、始発のバスを見送ったり、店内真っ暗なのに、開店中と光り輝く喫茶店の看板眺めて過ごす。

お願いごとをしてたら流れ星が流れた。

眠れそうになかったので一人起き出し朝ごはん。温かいコーヒー買いに自販機に行ったら10円釣り切れで、買いたくもないオロナミンCを買って10円を作る羽目に。

自分の寝方を振り返ると、発見された死体スタイルだったなあと思った。

今朝の夢

今朝目覚めの前に見た夢は

誰かの山岳レースのゴールシーンだった。

ゴール後、待っていた人と抱き合って涙を流して喜んでいた。

レースは本当に過酷な設定だったと思う。

ゴールした人は興奮して叫んでいた。

それを眺める人の視点で夢が進んでいた。

その視点の人は、きっと自分なんだけど、走ってゴールした人も自分のような感覚あさだった。

抱き合う二人を見て、

あぁいいなあ、あぁ悲しい〜って思ったところで目が覚めた。

夢の中の自分も、目が覚めている時の自分とおんなじようなことを考えているんやなあと、不思議な感覚だった。

固まる身体と心

せっかく遅くに帰ったのに

みんな起きてて、話したくないのに話しかけてきて、無理矢理誕生日祝おうとされて、

瞬間出ていきたい度最大になって

おかしくなりそうだった。

相手の思っていることはよくわかるけど、どうやって応えたらいいかもわかるけど、それを受け入れたくない気持ちが強くて、もうどうしたらよいかわからなくて、ただ黙ってやり過ごすしかなかった。

悲しむだろうけど、振り向けない。悲しませたいわけではないから、もう関わらないでほしい気持ちでいっぱい。

これがマヤ暦の転換期だとしたら、ライオンゲートの開く時に起こるべきことなら、結果はどうなるんだろうか。

マヤ暦占い

マヤ暦で占ってもらったのはしばらく前のこと。

あまりの辛さにどうしたらいいのか困り果てて占いへとたどり着いた。その辛さは占い通りに続いてて、より深刻になってきている。

なにせこの先の人生楽しいことが無いと決定付けられたようなものだから、毎日が空虚の連続である。

自分をこれ以上ないくらい嫌いになったからだと思う。

毎日を穏やかに迎えられ、終末が楽しみだったり、大変であっても乗り越えられると力強くあれたり、沈みそうな心がやってきても大丈夫っていう安心感、底支え感が去っていってしまった。

優しさもどこかにいってしまった。

さて、占いでは、誕生日に転機が訪れ、人生の起承転結の転に移っていき、辛さは晴れるという内容だった。

明日が誕生日だがその気配は無く、外食の提案をいつもは欠席する会議を理由に断り、ただただザックに荷物を詰めるのである。

もしかしたら、メッセージは既に放たれていて、私がそれに気づけていないだけなのだろうか?

ただで飲めるコーヒー

職場には、お客さん向けに無料のドリンク提供機が設置してある。

一応某有名コーヒーチェーン店の豆を使っているらしいが定かではない。

それはよいとして、このコーヒーに、薄いだの何だのと苦情を言う人がいる。

確かに美味しくはない。

そして濃い苦いコーヒーを飲み慣れている人には薄い味である。

しかし、苦情を言うのは何か違和感を感じてしまう。

設置しているのであるから、ある程度の味の保証はせねばなるまいが、薄い濃いといった個人の好みまで細かく対応することは難しい。

なんといっても無料である。そもそも無料で飲めるコーヒーが美味しいわけがない。

それを分かった上での苦情であるならば、苦情を言いたくなるのは職員の態度だったり、待ち時間の長さだったり真の原因はほかにあるかもしれない。

そこは随時意識して謙虚に見直していく必要があるが、無料で飲めるコーヒーに、個人の味の好みで苦情を言うのは、やっぱり違和感がある。

それはそうとして、昨日の朝ごはん時間のお陰で家への態度は変わらないものの、今日は自分の気持ちが少し楽だったように思う。久々に自転車通勤もしてみようと思えたし、とりあえず嬉しかった感覚が今日を乗り越えさせてくれました。

外ごはん 朝日編

8月5日

今日は山ごはんの日。

先日購入したこの本で知った。

最近山ごはんがブームらしい。

先見の明なんてないけれど、ブーム先駆け的なわたくし達として、何もしないわけには参りません。

ということで、仕事もある平日ですが、外ごはんしてきました。

近くの川にあるあずまやで、ごはんとお味噌汁と梅干し、らっきょうのシンプルな朝ごはん。

いい知らせも聞けて嬉しいし、

久しぶりに美味しい朝ごはんを、座っていただきました。笑顔がありました。

蚊に吸われながら、また外ごはんしたいなあと思いました。

癒しの朝ごはんでした。

基地に一時不時着した感じというのでしょうか。

ダイエットの基本 咀嚼編

まずは食事をよく噛んで食べる事。

これが食べ過ぎを防いでくれます。

私は夕ご飯をよく噛んで食べる事で4kg減量しました。

よく噛むって何回?と尋ねられると、

一口15回以上と言っていますが、ほんとは20〜30回は咀嚼したいところ。

咀嚼する事で、体に必要なエネルギーが取り込まれたら、「もう必要ないよ」と、身体の内側からひもじい思いをせずに食べ過ぎを、止めてくれる物質が出てきます。

このあたりは意識していないと気づけないことがあると思います。そんなサインが出ていると思って食事をするとよいと思います。噛むの疲れたわ、となればそれは、身体の発する「もういいよ」かもしれません。

ただ我慢する減量は、小さな欲求不満が積み重なるため、ふとしたことをきっかけにその不満が爆発し、反動的に食べ過ぎになる危険を秘めています。だから、自ら発する過食防止サインを活かして、我慢ではない摂取カロリーの減少が重要です。

しかしこの過食防止機能、消化器に食べ物が届くことで発動します。なので、食事を開始してからある程度の時間が必要とされます。だから咀嚼することによって、時間を稼ぐことも大切なことになります。

動物である以上、天敵から逃げるためには、過体重が不利な事は明確。逃げ遅れたら真っ先に狩られてしまいます。

だから、生きるために食べたくなる機能=食欲は必要ですが、同時に食べ過ぎを防ぐ機能も、ヒトには備わっています。

ただ、天敵のいない世界ではこの機能はだんだんと必要がなくなり、咀嚼せずにお腹一杯になる食べ物が増え、忙しい人間は噛むことなく急いで食べるようになり、この機能をますます必要のないものとしてきました。

また機能を阻害させるような、依存性をもたらす糖質や調味料も生み出され、様々な食品に含まれるようになりました。

お酒もこの機能を麻痺させます。

結果そのような食品と、早食いや生活習慣の積み重ねが、身体の出すサインに気づくチャンスを奪ってしまいます。

中にはこのサインが出ない身体を持った人もいますが、その方達はまた別の方法でアプローチします。

まずは動物として、ヒトとして、自然に備わっている、食べ過ぎを防ぎ、自分にとって丁度良い、カロリーの摂り方がダイエットの第一歩となります。

自宅で機種変更

ようやく新しい電話が繋がるようになった。

ここ数日連絡を取った人、一年前に使っていたiPhoneに登録されている人だけ電話帳を移行できた。ガラケー時代に交換した連絡先は、まだ移せていない。サーバー接続が可能できないからだ。

色々と基本設定をいじる機会となり、少し詳しくなった気がする。

ただ、眼はとっても疲れた。

忘れずにラインの通知は切っておいた。