許せない病

町の図書館で、許せない病という本を借りてきた。

題名が目に入ってきたから借りてみた。

中身はくどく、私は好きではない。

ただ、きっと私は、私のしたいこと

幸せなことを奪ってしまった人のことをずっとず許せないんだろうなと思った。

だからこの本的に、私は病なのである。

頑張ろうとして少しずつ治りかけてたけど、2度目に刺されたらアナフェラキシーを起こして致死的になるかのように、後戻りできないところに進んでいる感覚がある。

地図を見ずに勘だけで進んでいるみたいに。

自分を見失っているんだと思うこともあるし、これが自分なんだという思いもある。

遭難して死ぬ人は、間違っているんだろか、正しいんだろうかと、こんな思いの連続の末に力尽き、死にたどり着くんだろうか。

娘の友達がやってきて、家の中で喚声をあげている。家族がほとんど出払っていた家に、また居場所がなくなってきて離れることばかり考え始めた。

鳥取県 大鹿滝

好きな人と好きな所に行けるって

なんて幸せなことだったんだと

強く思った。

ずーっとおんなじこと考えながら

沢を漂っていました。

滝前空間が、目に入る最大の壮大さで

感動のあまり、思わず名前を呼んでしまいました。

滝に打たれて鼻に水が入りました。

歯の治療

先日歯が折れた。

北アルプスの花崗岩と戦って負けた。

もともと傷めていた歯で、神経を抜いていたから痛みはそれほど無かった。

先を急ぐあまりに、自分の疲労を無視して進んだ結果、濡れた岩に足を滑らせ、丸く盛り上がる岩に顔面から突っ込んだ。

たまたま歯だけが当たり、唇を切ったり、眼鏡が壊れたりはしなかった。同時に近くにあった岩で肩もぶつけた。

当たった衝撃は頭蓋に響き、歯が折れたことが瞬時に分かった。

すぐさま立ち上がり、ぶつけた歯に触れると破片が手に落ちた。

でもそんなにショックは無かった。

それよりも、待っている人の不安が気になり、どうせ自分が苦い気持ちになるはずなのに、前に進もうとしていた。

しかし身体は正直で、何度も、それまでは問題なかったような岩に足を取られた。

流石にペースを落とさざるを得ず、慎重に歩くようにした。

2年前から全て空回りで、今回は歯を無くすという結果をもたらした。

この歯は治るだろうけど、このとき感じた寂しさや悲しさや放って置かれる感じは残るんだろうなと思った。

アドベンチャーレース

台風で残業無し。

早く帰りたくないと、台風で客足の遠のくカフェでしばらく過ごし

実家に行って

録画してもらっていた

レユニオン島のアドベンチャーレースを鑑賞。

チームでレースに向かうさまざまな人の姿やコメントに、相棒と呼んでいた人の存在を思い浮かべた。

信頼で結ばれ、弱さをさらけ出し、相手を助けることを全く厭わず、うまくいくときは喜びあい、うまくいかないときは励まし合い、どうしようもない生きにくさを理解しあい、相手を助けることに喜びを見出す、そんな関係を作りたいと思った。

116iよりも必要なのはキャンピングカーか!?

職場を出た途端に、帰宅拒否な気分に。

ほんとに嫌なのです。反射的です。

居場所がないのにそこに帰らなければならないのが辛すぎます。想像できますか。

台風接近による風が、台風による大雨、雨後の滝や、風雨の中の散歩など、自然にまつわることを瞬時に連想させます。

そして、連想への自分との距離感が遠くなるほど、家との距離も遠くなってきます。

一人暮らしの方が楽なのでしょうか。

昨日は村の用事の後、自宅駐車場で車中泊をしました。そんなつもりはなかったのですが、疲れすぎていた上で、嫌やなあと1人悩んでいる間にいつのまにか寝ていました。

今の私にはキャンピングカーの方が適しているのかもしれません。

した事が返ってくる

この歳になって

いじめられっ子の気分を体験したような

そんな気がした週末でした。

悪態を吐く自分を、

もっと嫌いになりました。

相手の行動は

自分の写し鏡

私の行動も誰かにいじめられっ子気分を与えているのかもしれません。

常念岳 二ノ俣沢登り 1日目

深夜2時半頃に朴の木平スキー場に到着。

駐車場にて、テン泊、ブルーシートに包まってごろ寝、車中泊と様々なスタイルで仮眠。

2時間と少しで肌寒くて目覚める。

アルプス経験値が無いものだから、気候が読めずどんな格好で寝たら朝まで快適か分からない。

30分ほど星を眺めたり、始発のバスを見送ったり、店内真っ暗なのに、開店中と光り輝く喫茶店の看板眺めて過ごす。

お願いごとをしてたら流れ星が流れた。

眠れそうになかったので一人起き出し朝ごはん。温かいコーヒー買いに自販機に行ったら10円釣り切れで、買いたくもないオロナミンCを買って10円を作る羽目に。

自分の寝方を振り返ると、発見された死体スタイルだったなあと思った。

今朝の夢

今朝目覚めの前に見た夢は

誰かの山岳レースのゴールシーンだった。

ゴール後、待っていた人と抱き合って涙を流して喜んでいた。

レースは本当に過酷な設定だったと思う。

ゴールした人は興奮して叫んでいた。

それを眺める人の視点で夢が進んでいた。

その視点の人は、きっと自分なんだけど、走ってゴールした人も自分のような感覚あさだった。

抱き合う二人を見て、

あぁいいなあ、あぁ悲しい〜って思ったところで目が覚めた。

夢の中の自分も、目が覚めている時の自分とおんなじようなことを考えているんやなあと、不思議な感覚だった。

固まる身体と心

せっかく遅くに帰ったのに

みんな起きてて、話したくないのに話しかけてきて、無理矢理誕生日祝おうとされて、

瞬間出ていきたい度最大になって

おかしくなりそうだった。

相手の思っていることはよくわかるけど、どうやって応えたらいいかもわかるけど、それを受け入れたくない気持ちが強くて、もうどうしたらよいかわからなくて、ただ黙ってやり過ごすしかなかった。

悲しむだろうけど、振り向けない。悲しませたいわけではないから、もう関わらないでほしい気持ちでいっぱい。

これがマヤ暦の転換期だとしたら、ライオンゲートの開く時に起こるべきことなら、結果はどうなるんだろうか。

マヤ暦占い

マヤ暦で占ってもらったのはしばらく前のこと。

あまりの辛さにどうしたらいいのか困り果てて占いへとたどり着いた。その辛さは占い通りに続いてて、より深刻になってきている。

なにせこの先の人生楽しいことが無いと決定付けられたようなものだから、毎日が空虚の連続である。

自分をこれ以上ないくらい嫌いになったからだと思う。

毎日を穏やかに迎えられ、終末が楽しみだったり、大変であっても乗り越えられると力強くあれたり、沈みそうな心がやってきても大丈夫っていう安心感、底支え感が去っていってしまった。

優しさもどこかにいってしまった。

さて、占いでは、誕生日に転機が訪れ、人生の起承転結の転に移っていき、辛さは晴れるという内容だった。

明日が誕生日だがその気配は無く、外食の提案をいつもは欠席する会議を理由に断り、ただただザックに荷物を詰めるのである。

もしかしたら、メッセージは既に放たれていて、私がそれに気づけていないだけなのだろうか?