ネガティヴ引力高くなってて、人に会うのも気を使うから、無理に明るくしていて、反動で死にそうになります。

仕事中もふと手が止まると

想像に押しつぶされそうになります。

僕は鈍感だから

思ったよりももっと前から

騙され続けてたのかなあなんて考え始めて

苦しく苦しくなります。

誰にも言えない苦しみです。

この苦しみの発端になった人を

それでももう一度受け入れようと頑張ったけど

がんばる理由が消えちゃって

もう頑張れそうになくて、ギリギリのところで踏ん張っています

自分の想像がどうなのか

真実は何なのか

僕はどうすべきなのか

どうしたら幸せになるのか

苦しまなくてよくなるのか

僕一人ではもう抱えきれなくなっています。

でも話せる人は

いないような、いるような。

きっといないのだと思います。

自分の全てを放り出したら

こんなことになってしまうとは

まったく

予想できませんでした。

自由に素直にいただけなのに。

敏感過ぎないけど生きづらいから買ってみた。

「敏感すぎて

生きづらい人の

こころが

ラクに

なる方法」

という本を買った。近くのスーパーでチラッと読んだらもっとみたくなったから。

今朝も目覚めない方が楽だろうなぁと思う目覚めだった。まぁまぁ早く寝たのに。

なんでこんなことになったのだろう。

最悪な気分だ。孤立無援とはこのことか。

少しでも気分変わるかなと、それでも関心のあることしようと、マットを広げてストレッチしようと四つん這いになったら、途端に悲しくなって身体が重たくなって、ストレッチができなくなってしまった。

ほんとよくない。どうしよう。

今朝の話

起きた時死ぬほどしんどかった。

起きられなくなっていたら楽だろうなぁと思った。

また明日も起きなければいけない。

寝るのが嫌やな。

話したい人と話せず、

話したくない人と話さざるを得ない

こんな毎日どうやったら終わらせられるのかなあ。

東海自然歩道トレイルマラニック案内届く。疑問あり。

東海自然歩道トレイルマラニックの参加受付書類が届きました。

なんどもホームページを見ているけど、改めて紙でもらうと参加する実感が湧いてきます。

この用紙にも必携装備として、

雨でも問題なく泊まれるテント

低気温でも体温維持できる寝袋

という言葉があり、こちらも改めてひっかかりを感じました。

問題ないと判断するのは誰なのかということです。

トレイルシェルター

エスケープヴィヴィ

で参加しようと思ってるんだけど、梅雨だし雨は覚悟しています。トレイルシェルターには耐雨性能はありません。それでも寝るつもりです。寒くても保温着とカッパを着ればなんとかなりそうです。

判断は自分ですればよいなら問題なしとするし、でも開催者側で問題ありと判断されたら出走できなくなります。

受付できちんと理由や使用経験を伝えればよいのでしょうか?

完全防水の山岳テント

VS20

はあるけど、重たくて担いで走る気になりません。一応パッキングは試してみますが。

こんど雨の休日に、4時間以上使って寝てみようと思います。

そこで判断に迷うなら、主催者に尋ねてみようと思います。

今日は、但馬へ。滝二本から蘇武岳と林道抜けて植村直己記念館。

朝、娘を抱っこすると、今日は一緒にいようか、という気持ちになり、渓流釣りは諦めて蘇武岳に行くことにしました。

有給だし、なにも保育所に預けなくてもいいやと思いました。

蘇武岳にしたのは、以前から行きたかったことと、車で頂上直下まで行けるからでした。

滝も見たかったので、近くの有名滝、猿尾滝と、女郎滝も予定に加えました。

そして忘れてならないのが、植村直己さんです。記念館にも行くことにしました。

猿尾滝の滝前は、ウスバカゲロウが舞い、そしてもう夏の葉っぱの色であふれていました。

蘇武岳に行く林道入り口近くにある女郎滝

初めて見ましたが、予想以上の形の綺麗さに嬉しくなりました。岩肌を流れる白い水の濃度がいい具合でした。

蘇武岳は、頂上までは登らず開けた場所でご飯とハンモック。

今度はテント持って来たいところでした。

続いて崩れかけた林道を、車のお腹をこすりながら下り、植村直己記念館へ。途中一の滝をチラ見。

神鍋道の駅を通り過ぎる時は、いい思い出にちょっと悲しくなりました。

閉館1時間前に着いた記念館。始まりの映像に感動しました。これはいつ見ても感動します。

植村直己さんの言葉で気になったものを写真に撮りました。

今日も山や川に関することで1日過ごすことができました。

疲労軽減

トレランレースの帰り道

ホビオと違って

116iだいぶん楽できました。

狙い通りです。

那岐ピークスタフトレイルを走ってきました。短い方だけど。

なるべく、月に一度はトレイルレース出てみようと決めてから、3回目のレースでした。

受付開始が1日の朝6時だったので、仮眠してから行こうとしたのですが、21時をすぎても家がガヤガヤしていたので、現地泊しようと出発しました。

会場近くに着いたのが23時半ごろ。近くのローソンで朝ごはんを買い、車中泊をしました。

116iでも少し膝を曲げたらできました。

3時ごろに一度目が覚め、トイレついでに会場を散歩し再入眠。起きたら5時でした。車が雨で水漏れする夢で目が覚めました。

明るくなりました。

停めていたところは大会とは関係のない施設の駐車場だったので、選手用駐車場を探しますが案内がありません。

エントリーハガキにQRコードが付いてますが、私のガラケーでは読み取れないので、駐車場情報が手に入らず少し困ってしまいました。

遠くに目をやると、道路工事現場で使うような矢印点滅看板がありました。

夜中には無かったものなので、これかな、と思い従って進むと選手用駐車場がありました。既に3台停まっていました。

安心したらお腹が空きましたので、朝ごはんを食べ、自作アルコールストーブで湯を沸かしコーヒーを飲み、今日走る那岐山を眺め、スタートの準備に取りかかりました。

最近集中力が減りこのような準備に時間がかかり、再確認を度々してしまいます。今日もサングラスをカバンに入れたり出したり、ボケたんかなあと思うくらいでした。でも早く着いているので余裕があり、納得するまで準備ができました。

次は受付です。荷物チェックもあるみたいなのでフル装備背負って受付に。ゴールまで持って行って欲しい荷物もここで預けました。

荷物受付の若いお姉さんに、「荷物は以上ですか?」と尋ねられ、緊張したのかよく考えないまま「はい!」と答えましたが、履いていた長ズボンを思い出し、また預けに行きました。ちょっと自分が嫌になりましたが、今日は頑張ってって言われていたのを思い出し、これも大丈夫でした。

会場周辺を歩き回り、軽めのアップもできました。

早く着いていれば、心に余裕が持てました。

開会式は町長や実行委員長、アフロの人に、奥宮選手、そして地元の太鼓グループによって賑やかに行われ、あっという間にスタート10分前。

集合写真に笑顔を求められますがこれは無理でした。心から笑える日が来るまできっとこういう場面は苦手なままになるのでしょう。

スタートコールを3秒前からして、いよいよスタートです。

スタートゲートから山に向かってまっすぐに伸びる舗装路を駆けていきます。

養老山脈トレイルレースや篠山マラソンの反省を活かし、スタートからマイペースでいくことにしていたので、スタートダッシュに着いていきたい気持ちグッと抑え、息が上がらないよう汗もかかないよう走りました。

一気に那岐山山頂を目指します。ここの登りで舗装路で前にいた人たちに追いつき、何名かは離れていきました。

那岐山山頂からはモヤの中、作州の眺めと山並みやこの先に走る稜線のトレイルも見え、いい山だなと思いました。テント泊しながら歩いてみたいと思いました。

次の滝山に着く頃からひとり旅になり、これはゴールまで続きました。

時々長い方のコースにエントリーされた最後尾の選手にすれ違いました。そして折り返してきた選手3名には追い抜かれました。TJAR はまだまだ先にあると、この時実感しました。

第2エイドでは捻挫している選手の処置を横目で見ながら、ANAの機内提供?に採用されたお菓子や、B’zのボーカルのお兄さんが営むお店のお菓子や梅干しを頂き、トレイルはあと5キロ残りは舗装路という嬉しくないお知らせをもらいました。

そこからのトレイルは登りがキツかったです。歩きが必然と出ました。が脚は残ってました。

ここの登りは靴の中に異物がよく入ってきました。でも面倒くさがらず休みも兼ねて異物取りを心がけてやりました。

たった数分の足のケアを怠ると、以降の道がふいになると聞いたので、今のうちから足に気を配る練習をしています。

登りきった辺りで出会ったオフィシャルスタッフに、「あと9キロ全て下り」と言われ、喜びそうになりましたがここでも冷静に、持っていた一口羊羹を食べ、トレイルランナーのあと少しは大体嘘、を、思い出し、着実に進むことだけを考えました。

案の定心折れそうな登りがありました。

しかし、序盤飛ばさなかったお陰と、脚の運びを意識し続けたおかげか、最後まで走ることができました。痛くて走れないということがありませんでした。

最後は舗装路だっのですが、走りが単調になるぶん、頭では色んなことを考えました。考えたことは覚えてますが、何だったのかは忘れました。多分クマ鈴の事とか、優しい鈴のような声の人の事やったと思います。

途中山の中では一度も見かけなかった同カテゴリーの人が、さらっピンの脚のような軽やかさで舗装路で追い抜いていかれました。ロードも走れないと上位は狙えないと痛感しました。

そして気がつくと、MCの声が聞こえ始めゴールにたどり着いていました。

結果は全体の5%以内。

できることは出し切れました。序盤飛ばさず最後まで走る。脚の運びを意識し続けることができました。

景品のお肉には及びませんでしたが、トレーニングすればもっ速くなれるんだと思えました。

残念だったのは、滝の多い山域なのに、一つも見れなかった事です。稜線歩きと滝見トレッキングで再訪したいです。

しばらくはダラダラと思いついたまま、テキストのみのブログを書いてみようと思います。

ながいお別れ

久しぶりに見たい映画が現れた。

予告編でもじんわり。

そして主題歌が優河だった。

これで、もっとグッときた。

波状攻撃だ。

新譜もさっそく購入。

仲直りの映画にならないかなあ。

なんてしょうもないこと考えてしまった。離れた席でいいから、見た感想とかちょっと話すだけでいいから。

山に登るみたいに、映画を観れないかなあ。

ファイントラック ストームゴージュパンツを繕う

このパンツは買い直し続け、初めて履いてから10年以上経つ。古くなったものは草刈りや沢登り用にと、汚れてナンボのフィールドに移籍していった。

初めの一本を買ったのは三宮の好日山荘だった。

勤務地の近くに、一軒家でされていた頃のファイントラック本社があって、多分通るたびにロゴの入った看板が目に入っていたのだと思うんだけど、あの青と白のロゴを店で見た時、これは買わな!と思った。

当時から国産の商品をなるべく買わなきゃと思っていて、ファイントラックが国産のものをたくさん出していることがわかり、それも買い続ける動機になっている。

初めて履いた時の感触や、動きやすさに驚いたことは覚えている。日本人体型の私が裾直ししなくて着られたことも嬉しかった。

ある時仕事で相談を受けていたおじいちゃんに山で出会い、その人も同じパンツを履いていて、後日その話で盛り上がった事も覚えている。

ある時穴が空いたので、自分で治そうと生地を送ってもらい縫い合わせた。その時は都会から移住してきた後だったので、地元のアウトドアショップで生地を取り寄せてもらった。

生地を取りに行った時、お店の店長が「修理サービスもやってるから送ってって言ってたで」と教えてくれた。

後でカタログを見るとそんなことが書いてあった。

けれども、今日はまた自分で直してしまった。

右腿の換気口チャックが閉まらなくなったのは一年前。今日まで放置していた。先月の沢登りもそのまま行った。

けどおじさんのナマ脚がちらちら見えるのは周りに迷惑だろうし(自分なら見たくない)微妙に寒いし、換気は要らないか、、、と思って縫い合わせることにした。ほんとはチャックを直したかったんだけど、難しすぎて諦めた。

更にこれまた右腿の全面ポケットの袋部分に穴が空いていたので、ここも塞いだ。

黒いズボンに糸の色を合わせるのが普通なんだろうけど、ミシンの糸交換が面倒で、もともと付いていたベージュの糸でそのまま縫ってしまった。

沢登りは汚れてもいい服装でって教えてもらってるからこの程度の事は気にならない。

また前鬼の水に浸してあげられたらなあと、ミシンをかけながら思った。

僕は修理して使う人、物持ちのいい人が好きである。