今日は自転車サークルの忘年会。

賑やかな場に行くと、きっと辛くなるけど、これも課題と思って頑張る。

幸せなこと

午前中は、保健指導を仕事にしています。

今日はある男性のお話を伺いました。

検査結果はそんなに悪くなかったので指導はすぐに終えようとしたのですが、心が疲れているようでしたので、少しお話を伺いました。

すると、いろんなお話が出てきました。聞いても良さそうだったので、もう少し聞いてみました。

交通事故に巻き込まれ、仕事を失い、追い打ちをかけるように親の介護や子どもの事故が起き、とても辛い悲しみの中にある人でした。飲まざるを得なくなったかなように、毎日お酒を沢山飲んでおられました。

悲しさが伝わってきました。

後悔していることや、これから先を考えると不安になることを話されました。

幸せになりたい。幸せはお金や仕事でなく、自分のしたいことをすることでなく、家族と共にあり、心を通わせることだと言われました。それをしてこなかったツケが今やってきているようだと言われました。

最近私が考えている幸せとは少し違うお話でした。通過してきた道を振り返ってみて出されるその人の幸せの定義は、力強さがありました。

その人の持つ辛さに、技術でなく、心から、辛いですねと答えることができました。

自分が苦しんでいること、そしてそれを受け止めてくれる人がいることが影響したのだと思いました。

帰るときに、今日は健診に来てよかった、カウンセリングを受けたような気分だと言われました。

そうも言ってられないので、体を動かすことは好きだし、城山にでも登ろうかと思っているのだ、とも話されました。本音で話せる友人がいて助けられていることも話されました。

ただじっと耳を傾け、相づちを打ち、ものすごく集中してお話を伺いました。

その人は、また来年、新しい健診センターでお会いしましょうと言い帰っていかれました。

私の話をじっと聞いてくれる大切な人に、いつか今日あったこの事を伝えたいと思いました。

今日の心模様

今日は、おはようを言えました。寝坊したので何か食べるものない?って聞けました。

無理してるつもりはなかったです。

が、午後に応援で入った整形外科外来で、仕事しながら、何度も身を裂かれるような不安な気持ちに襲われ、小休憩もらって助けを求めようかと迷いながら、悶えてました。

起きていない妄想に苦しみ、激しい置いてけぼり感があり、情けないことに、涙ぐんでました。患者さんにはバレないようにしましたけど。

帰りに散髪に行って少し気分転換。帰ってただいまとか、髪切って遅くなってごめんね、って言えました。

SOS

今日はお昼からの、ふと、手の空く時間が辛かった。

不安に包まれた。

見せつけるかのような態度、言葉を思い出し妄想に取り憑かれた。

マヤ暦のメルマガの言葉を

疑いを抱きながらも救われたい思いで読んだ。

帰りに妻にクリスマスプレゼントを購入した。

山神社?クライミング

今日は山岳会のメンバーと姫路市にクライミングに。

TJAR完走のためには、山に総合的に取り組んだ方がよいと教わり、そのとおりだなと思って、クライミングにも取り組み始めています。

今日は、脚を上げていく時は少しずつ、という事を学びました。両手を近づけてホールドを持つ時の安定した重心を収める幅も知りました。一気に進めると戻れなくなる事がある事を体感しました。

ふと、地図読みしながら少しずつ進んでいこうよ、と言ったのに、全然少しずつではなかったことに気がつき、自分に反省しました。

そして、TJAR完走よりも何よりも先に乗り越えたい事ができたので、昨日帰宅時より取り組み開始しています。

決意

TJAR完走よりもはるかに難しい課題を

私が最も信頼する人から与えてもらった。

それは最善の考えであることはよく分かった。

やはり最高の人から出て来るアイデアは最高であり、この人は天才だと感じた。惚れるぜこれは!と思った。

それに、応援付き。

絶対クリアしてみせる。でないと待つのは死だから。

ハンター ヘラルド14

うちの薪ストーブ

使用2年目 ハンター ヘラルド14

鋳鉄でなく鋼板

暖まるのが早く、板の厚みで保温性あり

構造がシンプルで扱いやすく

寝る前に大きな薪を入れて、空気を絞れば朝まで火が残る。

ネスターマーチン検討してたところに

業者さんから勧められたもの。

でも今はこちらにしてよかったと思う。

住む所にはどんなのでもいいから

薪ストーブ入れたいな。山奥に住んだら必ず。

全く眠れず、夜中に薪をくべて火の番。

旧態依然

村の役で組長をしており(させられており)、会議に行ってきた。

そこでは、上位組織が主催する人権講演会などがあるたびに、下位組織に出席人数が割り振られる。休みを使って強制参加だ。

講演者からすれば会場がある程度埋まっていた方がいいのかもしれないが、聞きたくない人、無理矢理出さされた人が大半を占めるような講演会自体、開催する意味があるんだろうか。

人権講演会のニーズ調査なんてあった試しがない。

地域の中に必然性があって、みんなが聞きたいと思っているような人の話なら、何も無理に集めなくても人は集まるだろうし、そうではなくて、毎年やってて予算もあり、そもそも人権って大切だよね、だから反対する人はいないだろうしという感覚でやってるなら、お金と時間もったいないなぁと思う。

何も村の事だけでなく、PTAなんかでもそう思うことがある。

何も毎年お金使って、人権やら何やらと講演会開かなくても、必要なことは子どもたちには先生が伝え、家庭で伝えていれば十分だろうし、もう少し、なんというか、ニーズの高いものや、参加者の参加意識の濃度がもう少し高いことにお金を使ったらあかんのかなぁと、傷んだ心で参加した村の会議で思いました。

ノートレーニングな日

いつも以上に何も手につかない1日でした。もうずっと同じこと考えてます。

身体の方は、薪をもらいに行き、ひたすら切っておりました。

好まない過ごし方でした。