レース5日目8/15。疲労回復を優先し、予定より2時間遅れで出発です。五つ星ホテル市ノ瀬のおかげで、山の中で寝るよりしっかりと回復。目指すは塩見岳越えです。
6時半、少し前に出発していた選手と柏木登山口から地蔵尾根へ。試走、選考会と度々通っていたため気持ちに余裕があり、長い林道を他愛のない話で笑いながら飽きずに進みます。台風の行方次第も、自身が大きく崩れなければ完走も見えてきました。さすがにきつい登りになると脚の芯に感じる疲労がありましたが、何度も聞いた「市ノ瀬からが本番」という言葉を反芻。下山者からたびたび応援をいただきました。「足のケア15分を怠るものは1日を棒に振る」と格言を思い出しながら、6時間おきに足のケアを行います。
仙丈ヶ岳に着いたのは13時ごろ。小屋で水を購入。後からやってきた選手合わせて4人連なるように仙塩尾根に。アップダウンはかなりこたえましたが、苔むした森林が好きな場所なので頑張れます。
1人の選手が脚の痛みで離れていきました。さらに進むと、足裏の痛みでリタイアを決め座り込む選手を発見。対処法は全て試したのか近くにいた選手で確認します。「誰かと話をしたか?」と尋ねると未実施。休憩しながら話していると少し元気が出てきたようで、共に進み始めました。同じ志を持つものが近くにいて話をすると力が出ることを、ここまでの旅で感じており、それが彼にも伝わったようでした。
とはいえ、きつさは変わらず、三峰岳の登りは本当に×3できつく、眠気にやられて「10分仮眠!」と登山道脇で行き倒れのように寝ながら進みました。追って来られたマーシャル(DVDで見たOBの方々にテンション上がる!)とお話ししたり、三浦雄一郎呼吸法を行ったり、ブドウ糖を食べたり、笑ったり(疲れた時笑顔を作ると脳が勘違いして少し楽になる)、無念無想で歩いたり、これまでのトレーニングで得た前進方法を惜しみなく使用。
歩みは遅く、地図とコースタイムを確認し塩見越えは諦め、手前の熊ノ平小屋で休む計画に修正。地図には主要ポイントまでの所要時間を記入しており疲れた頭で計算(これするだけで歩みが遅くなる)の必要がなかったのは幸い。
19:40三峰岳を通過。寒風の抜ける三国平は暗く、道を外さないよう気が抜けず、冷えると思考が鈍るため折り畳んだマットレスを腹に巻き防寒。熊ノ平小屋に着いたのは21:40でした。アミノ酸を摂取してすぐに就寝。
6日目 8/16。肌寒い2時起床。眠気は消えており、温かい食事、足ケア、トイレを済ませ、3:20出発。疲労のため起きてから出発までの時間が長く動作が緩慢になっていました。
同時に熊ノ平に着いた3選手のうち、1人は先に進み、もう1人は寝ていたので、1人で仙塩尾根の続きへ向かいました。1人で歩く南アルプス稜線は瞑想のような時間。森林の中を歩くため風は弱く、すぐに暑くなり衣類を調整。暗闇の中1人先行していた選手と前後して進みます。日の出時間も曇りでどんより。塩見岳頂上あたりはガスが出ており、鎖を持つ手を滑らさないよう注意します。登って来られた三伏小屋のスタッフに、「みんな待ってるよー!」と朝の挨拶をもらい少し元気に。塩見小屋7:20着。補給多めに摂って一息つきます。小屋番のお姉さんに「これをください」って水を買うために持った1000円札を差し出しており、脳の混線に苦笑い。
三伏峠に近づくと登山者が増え始め、退屈さが紛れます。9:20三伏小屋に到着。関門閉鎖時間が17時なので貯金があると確認。完走が明確に見えてきました。熊ノ平で食べた朝食の残りを食べ足のケア。休んでおられた登山者に一挙手一投足を見つめられ緊張しました。足裏保護剤が切れていたのでリップクリームで代用。
1時間休憩後に出発。コースタイムの7~8割程度で進んでいたところ左大腿部に違和感が。気のせいと思いこみ、板屋岳の登りは誤魔化しましたが、下りに入ると痛みが強く力が入りません。登山道脇に座り、駒ケ根のコンビニから大事に運んできたもっちリ餡ドーナツを投入しましたが改善しません。高山裏避難小屋に着いたときにはリタイアという言葉が頭をよぎりました。椅子に座り、痛むところを揉んでさすってみたらいける気がしたのですが、またすぐに痛み始めます。後ろからきた保谷選手が追い抜いていきました。コースタイム通りの速度に低下。疲れがどっと出てきます。荒川の登りは我慢大会。「ファイト!!」と自分を鼓舞。ここでリタイアしてもエスケープルートはなく進むしかありません。太ももを触ると凹んでいるところがあり、どうも肉離れを起こしているようでした。こうなると弱い心が噴出、このまま下山できなくなったらレースに迷惑をかけるとか、職場に迷惑かけるとか正当ぶった言い訳が次々出てきます。これまでに何度か辞めたくなっていましたが、今回のは質が違いました。リタイアすると決め、荒川小屋が眼下に見えた時にスマホを取り出し、小屋に泊まるべく空きを確認する電話をかけようとしていました。しかし、アルプス深部。電波は圏外。
万策尽きたと思っていました。人生一呆然とした表情をしていたと思います。
見えているのに荒川小屋は遠く時間がかかります。しかしこの時間がよかった。冷静さが戻り、関門時間を計算し、まだ大丈夫だ、寝て回復に賭けようと思い直すことができました。太ももも強く圧迫すると痛みがなくなることに気が付きました。18時10分荒川小屋で選手チェックを受け、TJARファンの方と写真を撮りテント場へ。シェルターを建てすぐに太ももを巻くようにテーピング。試しに歩くと痛くありません!希望の光が見えてきました。補給を取り、体を拭いてアミノ酸と水を摂ってすぐに就寝。
7日目。起床後すぐさま脚の状態を確認。行けそうです。吹き出た言い訳は何だったのか。陽のあるうちに南アルプスを降りられそうです。賭けが当たりました。まだ山小屋では誰かが起きてました。横目に温かいご飯を食べ1時ごろ出発。休んでおられたスタッフが目をこすりながら見送ってくださいました。赤石岳は気持ちよく通過。大好きな百閒平でしばらく目を閉じ深呼吸。後光の射す赤石に見送られます。百閒洞山の家で二回目の朝ご飯を摂り、スタッフの男澤さんと馬場さんの通過チェックを受け元気をもらいした。小兎、兎と一歩一歩前だけを見て進みます。日本海からの距離を思うと、自分を褒めてあげたくなりました。
強まる陽射しのなか、聖岳は壁のように感じましたが、ここまでくれば残りは丘みたいなもの。
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朝露を全身にこすりつけ体を冷やし進みます。聖平小屋では最年長ゴールで有名な竹内さんの通過チェックを受け「自分が完走した時よりも早い」と安心の言葉をいただきました。そのさきの南岳はガスで日が遮られ、ほどよい陽気。強い疲労から登山道脇で行き倒れのように仮眠していたところ、「ハラミ」と耳元でささやく女性の声。目を開けると人はおらず目の前には揺れる草。幻聴でした(幻聴を聞くのがレース中の小目標)。気持ちよく再入眠。何分寝たのか「うわっ!!」という声に覚醒。行き倒れ風の私を見てビックリされた登山者でした。「どうもこんにちは」と軽く挨拶をして出発。最高に気持ちの良い昼寝に、野生に帰ったような気分でした。
茶臼小屋14:50着。テーピングを巻き直していたら雨になり、上下レインを着て下山。テープを巻いた(縛った)左脚が浮腫み始めていました。簡単に思っていた畑薙までの下りは、ヒルにやられて凹み、薄暗く、孤独でヤレヤレ峠も本当にヤレヤレといった具合で、しまいにはラジオと男女の話し声が聞こえ始め、キャンプでもしているのかと声の方に目を向けても何も見えず、非日常のてんこ盛り。茶臼小屋に幻聴を楽しめと書かれていたことを思い出します。
18時37分畑薙着。山は終わり、残すは80kmの舗装路です。濡れた服を絞り、脚を乾かし、どれ、小走りで急ごうかと数歩走ったところ、一歩が全身に響くような感覚。痛くて走れませんでした。最後のロードをなめてました。ここまで疲れた後に道を走ったことがなく新鮮な感覚でした。ゴール制限時間は明日の24時。真夜中の全力歩行が始まりました。続く