TJAR2024 完走記 その5

着地の衝撃に怯みましたが、歩行速度を最低4km/hとし、睡眠を取らなければゴールできると考え歩き通すことに決めました。ここで速度管理のためアナログ時計からスマートウォッチに変更。暗くなる舗装路をストックも使用し歩きます。左脚は巻きつけるテーピングのために体液の循環が滞り、浮腫が強くなっていました。

臨時駐車場までやってきました。

登山指導センターでトイレを済ませ、軒下を借り足のケアと補給。

お酒を飲んでおられたセンタースタッフに、「この先の白樺荘は夜でもカップ麺が買えるかもしれない」と伺い期待を膨らませま再スタート。

畑薙のダム付近で、たびたび登場してくれる静岡の友人応援。こんな山奥まで来てくれたことに感激。「次はゴールで!」と応援に力をもらいます。白樺荘前で人工の灯りに安堵。ちなみにカップ麺は買えませんでした。

畑薙第二ダムから大井川沿の道は街灯が少なく、単調で暇。車で通過するようなところです。時々ヘッドランプに照らされるアスファルトに漢字のような物が見えましたが気のせいにして、これまでに進んできた道のりを思い出し、この一歩がゴールに近づ一歩なんだとたびたび自分に言い聞かせます。時々ガードレール支柱とともに現れる静岡までの残り距離に「まだ70kmもあるんかい!」とツッコミを入れ眠気を吹き飛ばします。ひたすら暇です。

関門の井川オートキャンプ場まで数キロのところで久しぶりの自販機。アイスコーヒーで目を覚まします。キャンプ場到着は23時頃でした。無事関門クリアです。大会スタッフ、家族、友人達から沢山応援をいただき、素直に嬉しかったです。ここで右脚も痛み始めていたため両脚ともテーピング。左脚は見る人皆に「うわっ!」と驚かれるボンレスハムの状態。20分ほどの滞在で、飲料補給し再出発。

 応援に勢いづいて出たものの、また真っ暗で単調な舗装路。漢字に加えて道路のシミが人の顔に見え始めました。無視できない数です。ついに来ました!念願の幻覚です。瞬きしても消えません。本物です。そして体験したことのない眠気。片目を瞑り歩いてみたり、立って寝てみたり、こういう時にしかできないことを試しますが、ついには車に轢かれないよう道路脇で寝ることにしました。空には星、乾いたアスファルトが誘ってきます。腕時計のタイマーを15分に設定し臥床。すると、車が一台追い抜いて行きその数分後近くに人の気配。むくりと起き上がると、路上停止したGPSを見て確認にこられた大会スタッフでした。行き倒れ姿を撮られることは回避できましたが、5分しか眠れませんでした。しかたなく幻覚を連れてスタート。しばらくすると人家が見えてきました。井川集落です。

 井川ビジターセンター近くでヘッドランプを点けて蛇行する小島選手を発見しました。軒下で仮眠していたそうです。しばらく話しながら進むことにしました。話していると眠気が和らぎます。とはいえ疲労困憊の真夜中の単調な道。2人とも川のせせらぎがラジオに聞こえ「ラジオ聞こえますね〜」「そうですね~」と怪しい会話。しまいには樹々の隙間も人の顔に見え、共に道路脇で行き倒れ仮眠。やんちゃな暴走バイクや、椹島へ向かう観光バスに気が抜けません。まさにふらふら。ダム周回路は迂回が大きく時間ばかりが過ぎていきます。ふと気づけば排尿がしばらくなく、脚のむくみが悪化してきていました。

 と、ヘッドランプを点け暗闇の中道路脇に座る人の姿。近づくと塹壕足に苦しむ保谷選手でした。荒川小屋以来の再会です。彼は行き倒れていたら、暴走バイク集団に「やべっ」「死んでるんじゃね?」と指さされていたそうです。脚が合いそうだったので、一緒に進むことにしました。合言葉は、「この先のカフェCassoで朝ごはん!」です。色んなことを話しました。レースに出た理由とか仕事とか家族のこととか。レースなので競合者になるのですが、仲間のような気持ちです。

夜が明け、富士見峠で一休み。ここでも友人の応援をもらいパワーアップ。あとは下り基調と気が少し楽になります。しかし走るの辛く早歩き。足裏には灼熱感。休みのたびに乾かします。たどり着いたCasso横沢は開店時間前でしたが選手対応の案内がありお世話に。

 朝の7時にオムハヤシ大盛、ミルクシェイクとパン1つを食べ、道中用にさらにパンを2つ購入。生き返りました。

 強烈な暑さを予想させる強い日差しにせかされて再出発。用水路の水に帽子や服を浸して体を冷やしながら進みました。茶畑の濃ゆい緑色が印象に残っています。暑さには自信がありましたが、この日も静岡は暑く、道路には陽炎が立ち、太陽が真上に来る頃には日陰を作るものが全くない国道沿いに打ちのめされました。何度大井川に飛び込もうと思ったことか。静岡の電光掲示板も“不要の外出禁止”と表示していました。ぼんやりしていたのか自販機で買ったお茶が痛恨のホット。「心頭滅却すれば火もまた涼し」と唱えながら飲みますが意味なし。あの茶の熱さは忘れられません。途中見つけた釣具屋で売られるかき氷は格別でした。静岡は暑い、としっかりと体に刻み込まれました。あまりに浮腫むので脚を縛っていたテーピングをはがすと、肉離れの痛みは治まっていましたが、名刺1枚分くらいの皮膚が一緒にさよならしたため、傷に汗が沁み辛かったです。その痛みは眠気覚ましに換え進みました。体表近くのリンパが腫れ透明の液体が滲みだしていました。ここまでくれば何でもどんと来いです。

 しんどいばかりでなく、貴重な体験もできました。痛いとか暑いとか、しんどいとか脚太いとか、そんなことを思っていると本当に歩みが遅くなり、どうにかすると止まりそうになります。そんな時に応援の声が自分の推進力になっていると実感することができました。不思議な感覚です。今ここを歩けていることや、近くでも、遠くでも応援してくれる人、山を整備してくれる人に感謝する気持ちが自然と湧いてきました。体はしんどいはずなのに、とても充実した濃ゆい時間を送っている感覚がありました。カーブミラーで映るひげ面の自分の目がすっきりとしていました。

賎機の消防署前では、業務の都合上欠場された望月選手と握手し、私の脚に「だいぶ仕上がってるな!」とお褒めの言葉をいただき、レースの最終小目的を達成。後はゴールまでひたすら歩くのみです。コンビニで凍ったドリンクとパックアイスを買い体を冷やします。市内に入ると応援の数がものすごく増え、一生分くらいの励ましをもらいました。ここでともに進んできた小島選手と保谷選手と別々に進み、レースを振り返りながら自分のペースで歩くことにしました。

 繁華街に入り、静岡駅が近づいてきました。静岡駅構内がチェックポイント。地下に降りる階段が予想外の難所でした。肉離れ箇所を叩くような痛み。そしてひげ面、汗まみれて薄汚れ、匂い立つ姿で、きらきらした都会の駅を通り抜ける罰ゲーム感。逃げるように通過しました。とロータリーで熊ノ平小屋で別れた選手に遭遇。リタイア後無事下山されており、握手で最後の一押しをもらいました。

 あと5km。これまでの距離と比べるとたった5kmですが難しい区間でした。山で迷わず街で迷うという恰好悪いことにならないよう何度も紙地図を広げます。おかげでゴール後のインタビューで何を言うか考える余裕がなくなりました。暑すぎて脱アルコールビールを買って飲みながら進んでいると、すぐに脚が太くなることに気が付きました。どうやら腎臓がやられたようです。どうりで汗もおしっこも出ないわけだと納得。同時にゴール後入院、緊急透析、上司が渋い顔をするという予想図が出来上がりました。

 そしてゴールまで2km。レースを目指すきっかけとなった人に電話で報告。電話を切った後この人に認めてもらいたかったのかなとか、なんで出たんだっけなとか目指してきた6年間の出来事がいろいろと頭に浮かんでは消えていきました。

 海の匂いがしてきました。ゴール近くで近所の人がくれるコースアドバイスは様々で、迷いそうになるため(そもそもアドバイスを受けることが失格要件)自分の調べた道を進みます。やがて防波堤が近づいてきました。この防波堤を越えた瞬間の風景を見たいと、あきらめそうになった時何度も強く強く念じてきた瞬間です。ゴール横断幕が見ました。「やったーー!」と叫び砂浜に向かって階段を下ります。涙が溢れてきました(これを打っているときも涙が出そうになりました)。砂浜を駆け出します。脚は痛くありませんでした。

 7日と18時間13分。丹波から家族や友達が駆けつけてくれていました。静岡の友達も大阪の友達も。

ゴール後すぐに、小島選手と保谷選手もゴール。少ない言葉と強い握手。最濃の夏休みが終わりました。

レース後はインタビューを受け(様子はYouTubeをご覧ください)、家族フルサポートで帰路へ。直後のアイシングと車中睡眠が効いたのか道中尿意が復活し、緊急入院は回避。筋肉痛は無く、翌々日には無事出勤することができました。腫れた脚は1週間ほどで回復。2週間はものすごい食欲と眠気。ジョグ再開は3週間後からでした。脇腹の脂肪がなくなっていました。

少し自分に自信をもつことができるようになりました。

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