今日のトレーニング

TJAR2022に向けて。

仕事終わりに50分ランニング。

育った町を走って回る。

最近同じことばかり考えている。でも考えを実行して期待通りにならなかったら、全てを失うからできない。何を引き換えにしようか。

後悔の重ね塗りするか、後悔したまま生きていくか。

なんでこんなことになったんだろう。起きたことは純粋だと思ってたのに。

肩の腱が切れているっぽい。

父と登山

私が山を好きになったのは

きっと幼い頃から外で遊び、父に山によく連れて行ってもらったからだと思う。

好きというか、山にいることが当たり前だった。

家の方針は外で遊べだった。テレビゲームは買ってもらえず、ある日壊れてからはテレビも無い家庭だった。

山が自由で多くを受け止めてくれることに気づき、近づきたいと思ったのはつい最近だが、山や川に反応するのは、この家庭で育ったからだと思う。

おにぎり持って出かけた山で、父は山の遊びをたくさん教えてくれた。何が危険か教えてくれた。

そんな父もいつの間にか70歳になっていた。今後行ける時はそんなに無い。

昨年、父と山に登った人が、私にも父と行くことを勧めてくれた。

でも予定した日は雨で流れ、流れ流れて今日になった。

父は今日の山には行ったことがなく、父に連れられ山に行っていた私が、父を連れて行くことになっていた。

気持がいっぱいになってきたからブログ中断!

取り憑かれてんのかな

1日かけていろんな荷物を

下ろすことなく次々背負い込み

やがてその重さに疲れ果て、

眠れず、さらに苦しめられ、

それを毎日繰り返す。

好きだったものが段々離れていく。

空っぽになっていくのがなんとなくわかる。空の自分ってきっとつまらないんだろうな。

情けない。

薪の重さ

肩が痛くて困っていたが、薪をもらえるということで、妻の友人宅へ行ってみた。特に心の準備はせずに行ってみた。

うかつだった。薪を運んでいたら周りの音も声も聞こえなくなった。お礼も言ったかどうだか思い出せない。

逃げ出したくなった。そのお宅で靴底にくっついた粘着物を、落ちている木の枝で取り去ることに集中したが周りはお構い無しに声をかけてくる。

ダメだった。

そのまま家族は出かけ、私は薪を置きに帰宅。

心の中は大嵐。

家の前で暫く止まったまま、少し治まるのを待ちました。

TJARは基地にはなりませんでした。なんでこんなに辛い思いをしなければならないのだ。

なんかの役に立つのかなあ。

生きるのが辛い人への解決方法を掲載したサイトにあった言葉達。

こうあれたら、幸せなんだって。

心の声ではなくて、頭の声を優先してたら、生き辛くなるんやって。

でも心の声を優先するのは難しいなあ。人間廃業やわ。

昨夜の寝床

隣の学区の裏山に野宿。

ストックシェルターとエスケープヴィヴィ。

1時半就寝、3時半寒さで起床。更にダウン着込んで30分粘る。

次からは寝袋にしよう。

今日見た朝の空は、久しぶりにきれいだと思えた。

TJAR完走できたなら

全てを受け入れられるのかなあ。

声をかけられると身体が固まり

目が合うと心が固まり

思考が止まり

感情が蓋をする

恐怖。そんな感じに近いのかも。

ここは居づらい。

一生後悔の日々が続くのかと思うと、消えてしまいたくなる。

TJARは私の基地となってくれるのだろうか。

私、公害やわ

健診受診者の健康状態チェックリスト

鬱の欄

やってみたら全該当

凹んだ。

家に帰るのが嫌になること、他の人にもあるのかなぁ。