ULザック

ULザックをフリマサイトで探すと、定価より高いことがよくある。転売ヤーの仕業なのであろうが。気持ち悪い。

それで売れるんだろう。買う人がいるからその価格なんだろう。買った人はどんな気分でそれを使うんだろうか。はたまた保管しておいて、また価格上乗せして売るんだろうか。シンプルではない。邪念が入っている気がする。

そしてそれを買う行為、売る行為は

なんかULから離れている気がする。言わばスタイルだけUL。なんちゃってUL。

ULは手段であって目的ではないと思う。

経験増やして、重量という負担を減らし、減らした重さを経験で補い、より楽に長く遠くに行く。

そして段々行為や道具に無駄が無くなり、

必要最低限な荷物でより自然に近づく、溶け込む。ULはその手段なんだと思う。

尊敬する人が、なるべくなら何も持たずに山に行きたいって言ってて、すでに境地にいる感じなのであるが、

その人の選ぶものは決して軽いわけではないし、ザックは荷物でいっぱいなんだけど、けども考え的にはこっちがULに近いよなあって思っている。そしてこの荷物たくさんなのをヒョイって背負う姿がなんとも素敵なのである。

鹿や狐や熊みたいに、山を山と思わずに、散歩に行くみたいに入れたなら、どんな感覚が起こるんだろうなと、フリマサイトを見ながら思った。

八上城跡にて

何気ない会話の途中で、この人は死んでも助けたいって強く思ったその時を思い出していた。その人がいるから私も生きている。

常に電源ON

ご飯食べながらふと思ったんやけど、

何も考えずにただそこにある。そんな感覚をすっかり忘れている。

目を閉じてみると、常に何かを考えていて、常時電源入ったままのパソコンみたい。

さらに目を閉じて、一つ一つ電源落としかけたけど、またこのブログ書くありさま

頭の中空っぽにして、ただそこにあるだけになれたのは初めて歩いた沢の帰り。あの時見た空と、聞こえた音と、少しひんやりした空気と、近くを歩く人の存在。それだけに満たされた幸せな時間。

はたと途絶えて今もまだ。

次はいつなんだろう。臨終の時なんてのは嫌だなあ。

ファーストラヴを読んでいる

「名付けとは、存在を認めること。存在を認められること。」

自分の中にあった何とも言えないできごと、気持ちに、

大変なところにいたんだねって

大変なことだったって言ってもらえて、それに名前をつけてもらえて

あぁ、大変だったんだ、ほんと大変だったんだって瞬時に思えて、なんで大変だって思えなかったんだろうって、この人は心から信じられるって思えて、

自分の存在が初めて認められた気がして、この人のために生きていく自分が欲しいって思えて、

嬉しくて幸せだったんだと思った。

今は存在なんてしてなくて、ただただ餌を食べるように毎日を過ごしている。味変しながら。

避難小屋で読書

今読みたい本が11冊ある。

うち7冊は図書館で借りた返却期限付き。なので、早く読まなきゃならない。

今朝目覚めた時、山小屋に行きたいと思っていた。しかし、散髪と草刈り機修理というノルマがあり山小屋はあきらめた。

ところが昨日干した山道具を収納しようと触っていると、静かなところで、湧き水でコーヒー飲みながら、読書したいと、また山が1日の予定に割り込んできてしまった。

お昼前。

迷っている時間は1分もない。

扇ノ山 山頂避難小屋に、最短の姫路ルートから行くことにした。

2時間かけて登山口。35分で登り、雨天予報もあってか無人の小屋で、マット拡げてゴロリ。

汁飲み減らすために十分にふやかしたラーメンを食べ、おやつしながら読書。

手を止めると風の音と鳥の声。

澱が少しずつ剥がれるように落ちていき、あっという間の夕方に。

夕刻の霧。熊の好条件。掛け声とともに15分で下山。

今度は泊まりで行こうかな。

Google BARDを試してみた

マラソン3時間を切る方法を尋ねてみたら以下の回答。

マラソンを3時間半で走る人が3時間以内に走るには、いくつかの練習が必要です。

  • 走行距離を増やす: 走行距離を増やすことは、マラソンのタイムを向上させるための最も重要なことです。月間150km以上走行を目指しましょう。
  • ペース走を行う: ペース走は、持久力とスピードを向上させるのに役立ちます。10kmを45分、ハーフマラソンを1時間半のペースで走るようにしましょう。
  • インターバル走を行う: インターバル走は、スピードと瞬発力を向上させるのに役立ちます。400mを1分、ジョギングを1分の間隔で走るようにしましょう。
  • リカバリーを行う: リカバリーは、怪我を防ぎ、回復を促進するために重要です。十分な睡眠を取り、健康的な食事をとり、ストレッチをしましょう。
  • レースを走る: レースを走ることは、マラソンのタイムを向上させるための最良の方法です。さまざまなレースにエントリーして、経験を積みましょう。

これらの練習を実践することで、マラソンを3時間以内に走ることが可能になります。ただし、無理をしないように注意してください。怪我をしないように、徐々に練習量を増やしていくことが大切です。

だそう。考えていることと同じなところもあり、リカバリーは新たなところ。

あとは、きちんと数字で管理するところが必要かな。GPS Watch買うか、距離表示のあるところで練習するか。。

トラック練習⁉️

新緑の山旅 2泊3日 その1

高島トレイルに着いたのは、GWの初日。東京から来る友達を迎えにマキノ駅に向かった。

数日前から睨めっこした天気図では、雨が追いやられ、今日から3日間は好天の予報だった。

久しぶりに会った友人は、いつもと変わらないおとなしい笑顔で待ち合い場所近くに立っていた。時々LINEで会話しているので久しぶり感が少ない。買ったと言っていた新しいザックを背負っていた。

駅の駐車場に車を停め、1時間後にやってくる登山口までのバスを、荷造りや駅周辺の散策で時間を潰して待っていた。

片道220円のコミュニティバス。地元の人優先。

バスの時刻が近くなると、沢山のそれらしき人たちが集まってきた。

日帰りから、同じように縦走するような装備の人、昔ながらのスタイルから流行りのULスタイルまで。年齢層はじぶん含めてやや高め。

どうやら渋めの山らしい。新緑のような人は見当たらなかった。

やがてやってきたバスは定員ギリギリのハイカーを詰め込み、時間通りに愛越発登山口へ。

解放されたように降り立った人たちが、いつのまにか汗ばむ暑さになっている山に、次々と入っていった。

私は真っ先に飛び込みたかったのだが、歩くように当たり前に写真を撮る友人と共に、後ろの方から出発した。

せっかく楽しみにきてるのだからと急ぎ足だった自分に反省しながら、彼との旅のリズムを思い出しゲレンデの急登を登っていった。

やがてゲレンデの芝生は消え、全て新緑に包まれる山の中を歩き始めた。

先に登って行った老若男女は一向に姿が見えず、滋賀県の人は歩くのが速いのか?などと口にしながら歩いていった。

遠くにもやがかった琵琶湖が見えていた。

明王の禿というヘンテコな地名がつけられた場所で、バスの中にいた山と道コーデの男性と話をした。福岡からこられたこの方は晴天を喜んでおられた。

禿。確かに草木がない。

この人、以降、黄色い人や山と道の人と私たちの間で呼ばれる。

少し先の鉄塔の下で風を避けながら、カップルの邪魔をしないように昼を食べた。ここはマキノ高原から近く、子どもや、とても若い方々、小さなザックの方で賑わっていた。汗をかきかき少し大きい荷物でやってきたのが小っ恥ずかしかった。

遠くに青い服着た友人の姿。

休憩後に背負ったザックの重さに体がびっくりしていた。久々のテント泊荷物にまだ体が馴染んでいなかったようである。

この日は大御影山を越えたあたりを泊地に考えていたが、まだ明るく体力にも余裕があったので、先の大日岳でテントを張ることにした。

止まったのは日本海と夕焼けのセットが眺められる場所だった。

私はツェルト、友人はクロスオーバードーム。2人分の敷地がなく声が聞こえる程度に離れて設営。落ち葉でフカフカなのでペグが効きにくく、大きな石も落ちておらず8分を意識していたので建て始めに手間取った。

ご飯までの間、少しの空き時間。友人は夕焼け撮影、私は少し先の山道を歩き、開けたところで腰掛けぼーーーっとして、薄暗くなる山に溶け込もうとした。スマホはツェルト内に置いてきたので写真はないが、風景がただただシンプルて綺麗だったのを覚えている。

泊地に戻ると、湯を沸かす音がしていた。私もすぐさまご飯の用意にとりかかった。定番ポテチラーメンにチーズやナッツ、乾燥野菜を入れたものとフリーズドライの味噌汁。飛行機に乗らなかったので今回はガス缶を使った。早く湯を沸かすにはこちらがいい。

友人から「いぶりがっこいりますか?」と声が飛んできた。

塩っ気と燻製の香りを思い浮かべて即答。湯を注ぐ前の器にたっぷりいただいた。半分をその場で後は戻って湯をかけゆっくりといただいた。いぶりがっこを山に選ぶ彼の選択が愉快だった。

ご飯の後は音を立てて歯を磨き、その日撮った写真を見返して夜8時には就寝。落ち葉のお陰で快適寝床であった。

が、そこで携帯のバイブ音。友人のものかと思いきや、なかなか止まない。止んだと思ったらまたすぐになり始める。まさか寝落ちした友人の目覚まし?と思い「マナーモード鳴ってへん?」と尋ねたら、「だいぶ離れたところで何か鳴いてますね、強いです」と。

鳥なのかカエルなのか。かろうじて繋がるインターネット検索で、“バイブ音 鳥”と検索してもインドネシアの鳥しかヒットせず。

その間も ヴーヴー ヴーヴー ヴーヴー

とうとう夜中に目覚めた時も、朝起きた時も聞こえていた。ありゃいったいなにだったのかいまだに謎である。

あいつ、いつ寝てんねんと突っ込みながら朝の支度し4時に出発。

山の上は早く明るくなる。予定より1時間早く先に進んだところで泊まったので余裕を持って迎えた朝であった。

そして始まる撮影タイム。朝の写真時間を過ごす友人と少し離れて先に進んだ。こう書くと、私は景色に関心のないただ歩くだけの人のようにうつるかもしれないが、そんなことはない。めいいっぱい景色を目から取り込んでいるつもり。一緒にきてるのに離れるの?と思うかもしれないが、よくある話。友人は必ず迷うことなく追いついてくるし、私もほどほどにして待つ。時々不安になって戻ることもあるが。

2日目は1日目よりさらに暑かった。コースタイムを疲労抜きで換算していたので、時間に追われたハードな山歩きとなり、綺麗なのだが変化の少ない景色がハードさを強調させた。

一度だけ車がビュンビュン通る峠道に出た時は、赤い自販機を探してしまった。

コーラー飲みたい一心

まぁ、通過するだけのような峠にそんなものはなく、農業用の貯水槽で身体を冷やし、道端のイタドリをかじり先を急いだ。お昼を過ぎには暑さと里山のアップダウンに疲れ、水場でくっついたであろう山ビルにMAX血を吸われ、笑うしかない状態になっていた。たびたび近づく黄色い人も、この辺りからかなりペースダウンしていた。

けども相変わらずブナの新緑は綺麗で、森の中は涼しく、分岐や小ピークごとに、感嘆詞を交わしては歩きを止めずに進んでいった。

泊予定地の木地山峠が近づいてきたころ、ようやくペースを落とし夕日を眺めながら、何とか間に合ったね^_^と、ひらひら下っていった。

木地山峠。泊まれるみたいと調べていたがびっくりした。

祠の前には2畳程のスペース。テント一張り。おおぅ、冗談きっついわーと思わず言ってしまった。

が思い違い。先に進むと既に5軒のテント。張る場所があったのだ。広く平坦な場所は埋められており、またもや分散テント。今度は声も届かないところになってしまったのは遅く着いたせい。

疲れているけどなるべく早くツェルトを建て、歩いて8分とされる水場に移動。匂いうつりのする友人の浄水器は封印し、一つの浄水器で3.5lを濾過し帰宅。

疲労からくる眠気を堪えて湯を沸かし、またもやポテチラーメン。半分食べたら眠気がやってきめギブアップ。残りを朝ごはんに回して、シュラフ出すのがめんどうなので服を全部着込んで歯磨きして就寝。

寒くて一回起きたがぐっすり6時間。家に居るよりよく寝ている。

3時半にエスケープヴィヴィでもよかったなと思いつつ起床。

ゆっくり準備し、お湯を注いで温め直したご飯に、ココアを飲む余裕を持って朝5時、3日目スタート。

コースタイム70%で13時台のバスに間に合う計算であった。

続く

明日世界が終わる夢

そんな夢を見て二度寝から目が覚めた。

10分の間に。

夢の中で僕は

ずーっと抑えている気持ちを行動に移していた。

夢の中だからか、ずいぶん大胆だった。

たぶんこれは伝えないまま、きっと後悔したまま

いつか死ぬ日を迎えるんだろうなと

目覚めてから思った。

言葉にできない。してはいけない。

してもきっともっと辛くなるだけ。

身体は老いるのに

心はずっと時間が止まったまま。

はあぁ、なんであんな夢見たんだ。

イワナ釣りの季節です

残雪踏み越え、ドロドロになりながら春の沢へ。恐らく第一踏。

三畳ほどの淵にはだいたいイワナが居り、サイズは20cmほど。一番大きな淵には尺イワナ。今日は全てリリース。

そこにイワナがいるとわかるだけで満足。嬉しい。

雪の上の沢靴はよく冷え、足の感覚がなくなり、さらにはポカポカに。

定番カップ麺でお昼を済ませ、も少し釣り上がって納竿。沸かしかけたお湯がひっくり返ってあわやガス缶爆発の危機。師匠がとっさに川に沈めて危機回避。

ヤマブキ咲く頃が釣り始め。

マンサクとは先ず咲くからマンサク。

今日もいっぱいいいもの見られたよい日。

よい日はおすそ分けしたくなるなあ。

5.9程度らしい

古道巡礼

散文です。

おもしろい本に出会えました。

ナイス、氷上図書館。

高桑信一さんによる古道巡礼。ヘンコぶりが伝わってくるけど、昔々の生活道をたどる旅はどれも魅力的である。

どれか一つでも、いつか歩いてみたい。まずは近くの道から。

古道復活は、維持を含めてやらないとダメだ、みたいなことが書いてあった。結構賛成。

僕は、道は作りたくて作るのは現代的な感覚のもので、本来は目的のために地形の弱いところを見つけて、必要に応じて人が通ることで出来上がっていくものだと思っている。何もないところから、人の足がなん度も踏むことでできるものだと。

そして目的を失った道はそのまま消えていくのが自然であり、たとえそこに手を加えるならば、維持させることをやらないと、とても不自然なことに感じる。

山を歩いていて、昔の人の痕跡を見つけると、なんだかその時は昔の人と気持ちが繋がったような気がして嬉しくなる。

本を読みながら、ただ、ただ、空気のように包み込んでくれた人と、当たり前のように漂うように山や川にありたいなぁと思った。